第一章
 本丸の居間となる場所には大きな炬燵があり、刀剣男士の数人がそこでたむろしていた。前田、薬研、和泉守、堀川、加州だ。その中には審神者もいる。炬燵にみかんというありふれた光景。本丸に一つしかないテレビはアニメのエンディングを流していた。

 短刀の好きなアニメ『まじまじ刃物んじゃー』が終わると、テレビは朝のニュースに変わった。テレビのチャンネルを切り替えずにそのままにしていると、司会者の淡々とした声が流れる。審神者はみかんの白い筋を取るのに夢中になっていたが、耳に入った言葉に顔が上がった。

『――市で通り魔事件がありました。被害者は20代男性。短い刃物で斬られた痕が複数あり……』

 は、と息を呑む。朝から物騒なニュースだ。さっきまで、アニメで盛り上がっていた短刀達も今は真剣な顔をしてテレビに釘付けになっていた。

 ニュースを聞けば、どうやらこの殺人は既に何度か起こっているらしい。被害者は男ばかり。小学生から若い男性が主だった。

「なんと……物騒ですねぇ」

 前田は僅かに眉を寄せて、呟いた。

「人の世ならそういうこともあるだろ。とりあえず大将は一人で現世に行くなよ」

「んー」

 審神者は生返事をすると、みかんをぱくりと食べ始める。予想通りの反応だったのか、薬研は特に怒った様子を見せず、炬燵の真ん中にある籠の中のみかんを手に取った。

「あ、もうみかんねぇじゃねぇか」

「悪いな、これは早いもん勝ちだ」

 調度みかんを食べ終えたらしい和泉守が空になった籠を見て、げっ、と声を漏らした。薬研はにやりと笑う。これはもう俺のものだと主張するかのように素早くみかんの皮を剥き始めた。ぺりぺりぺり。みかんの皮は薄くて柔らかく、白い皮ごしに濃いオレンジ色の実が見える。この甘いみかんは本丸でなかなか好評だ。その最後のみかんが薬研の口の中に入っていく。

「兼さん、みかんの食べ過ぎだよ。あと本丸に支給されたお酒、ほとんど飲んだよね。諦めなよ」

 堀川がぐさりと和泉守の痛い部分を突いた。和泉守はぐ、と押し黙り逃げるように深く炬燵に入る。一番身体の大きい彼が肩まで炬燵に入れば、他の刀剣男士は迷惑そうな顔をした。当たり前だ。加州はその様子にため息を吐く。

「ちょっとさぁ、そういう子供みたいなことしないでくれる? ……というか何、もしかして酔ってる?」

「は、はぁ!? 酔ってるわけねぇだろ!」

 和泉守は体をばっと起こし、赤くなった顔で加州に抗議した。

「え、何、もしかして本当に飲んだの?」

 冗談のつもりだったらしい。それなのに必死な反応を見て、「うわぁ」という声が加州から漏れる。和泉守は自分が墓穴を掘ったことに気付いた。アルコールが身体を回っていなければ、きっと蒼白な顔をしていただろう。

「兼さん……?」

 穏やかな堀川の声。保護者が子供を叱る前の、不気味なほど優しい声音。これには和泉守も勝てないだろう。堀川は炬燵に縋りつく和泉守の首根っこを掴んで剥ぐ。ずるずると引きずられ居間を出ていく和泉守の顔は引きつり、抵抗することを既に諦めていることが分かる。

「主、今日も休み? 出陣とかしない?」

 何もなかったかのように、加州は審神者に話しかけた。審神者も淡々と返す。

「そうだね、そろそろ出陣した方がいいかな。結構休んだからね、戦いやすい場所でいいから出陣しようか」

「そうだな。こうやってのんびりするのもいいが、適度に出陣しないと体が鈍りそうだ」

「はい、そうですね。政府からの指令が来るまでに少しでも強くなっておきたいです。物資も集めなくては」

「そんじゃあ、しばかれてる和泉守と堀川呼んでくるよ、俺」

 出陣の準備は問題なく終わり、少し疲れた顔をした和泉守を隊長に出陣して行った。それを見送った審神者は勝手場にある冷蔵庫を漁る。大晦日に大掃除をして、本丸内は掃除の必要がないくらい綺麗だし、畑は一通り収穫を終えている。はっきりいって、審神者は暇だった。口寂しいので、何かつまめるものはないだろうか、と考えたのだ。しかし、ない。全く、ない。

「う、うわぁ……」

 これは、彼らが戻ってくる前に食糧を調達した方がいいだろう。政府との通信機を見ると、一応今日、食糧が届く予定のようだ。しかしいつもなら早朝に来ている筈だ。それなのにまだ来ていない。同じ日に食糧を頼む本丸が多いのだろうか。

 それなら仕方ない、と審神者も出かける支度をする。正装である巫女服に着替え、羽織とマフラーもかける。草履、ではなくブーツなのは審神者の趣味、ではなく単に寒いから。白い息を吐いて、審神者は振り返り本丸を見る。「いってきまーす」と、誰もいない建物に声をかけた。





 政府の物資支給場所に辿り着いた審神者は人々の働く姿をぼんやりと眺めていた。

 やっぱりというか、なんというか。とにかく人が、少ないのだ。三日なのだから休みたい人も多いのだろう。しかし、この日から物資の支給ができるようになっているのだから仕方ない。上が悪いのだ。上が。頼めるのなら頼む、私は悪くないと心の中で呟いて審神者は職員に話しかける。

「すみません、……の本丸で物資を頼んでいたんですが、よかったらこちらで引き取らせてもらえませんか?」

「あ、あぁ! ごめん、ちょっと待ってねすぐに確認しますから」

 職員はほっとした表情を見せ、通信機で調べ始める。

「えっと……あ、調度今届け終わったみたいです」

 どうやら入れ違いになってしまったようだ。猫の手も借りたいほどに忙しいだろうに、なんだか申し訳ない。

「もしよければ、帰るついでに他の本丸に物資を届けて行きましょうか?」

「い、いいんですか……」

「はい」

 とはいえ、職員も遠慮したらしく刀剣男士の少ない本丸の物資を運ぶようにお願いした。お米と野菜とほんの少しと酒が入った段ボールはそれでも、まあ重い。日頃の運動不足で、腕が筋肉痛になるかもしれないなぁ、と考えつつお使いを始める。届けに行く本丸の住所は審神者の本丸から近かった。迷うこともなく、本丸の玄関で立ち尽くす。インターフォン……なんてものはない。この場合、扉を開けて声を出した方がいいのだろうか、それとも玄関は開けずにここで声を張り上げるべきか。

「こんなところで何してるんだい?」

 後ろから声をかけられ、審神者の肩はびくりと上がった。気配はなかったのにいつの間に、と振り返る。そこには真っ白な装束を着た男がいた。鶴丸国永だ。ふわりとした白い髪はキラキラと輝き、肌も白く、陶器のように滑らかだった。蜜色の瞳はしっかりと審神者を捉えている。

「えっと……物資を届けに来ました」

 審神者の声は分かりやすいくらいに震えていた。鶴丸は目の前の人間が初めての場所で緊張しているのだろう、と思い安心させようと口元に緩く弧を描いた。

「でも、きみは審神者じゃないのか? どうしてここに」

「今日は忙しいみたいで、ちょっと手伝いをしているんです」

「ああ、そうなのか。悪いな、こんな忙しい日に。荷物を持とう、ついでに挨拶して行かないかい? お礼にお茶ぐらいは出させてくれ」

「え、えぇ」

 本当は帰りたかったが、審神者は何故か了承してしまっていた。本丸の中は暗く、静かだった。この本丸も、他の刀剣男士達は出陣しているのだろうか。背中から嫌な気配がして、審神者はそっと胸にしまった懐刀に触れる。

「なんだい、怖いのか?」

 鶴丸はふっと笑って審神者を見る。馬鹿にするような笑いではないが、これになんと返事をすればいいか分からず審神者は顔を伏せた。

「何かあれば俺が守るさ。大切な客人だ」

「ありがとうございます……」

 ――そのあなたが一番、怖いのだけれど。

 審神者は声を出さずに舌の上でその言葉を転がした。

 勝手場に入ると、審神者らしき女性がいた。長い黒髪に、病的なほどに白い肌。どこか疲れている表情で、審神者を見ると目を大きくした。

「あなたは……?」

「審神者だ。手伝いで物資を運んできてくれたみたいだぜ」

「そうだったんですか。ありがとうございます。寒かったですよね、今、お茶を淹れますね」

 女性は嬉しそうに笑うと、やかんに水を入れてお湯を沸かし始めた。その間に鶴丸は段ボールのガムテープをはいで、中にあるものを出していき、それを女性が仕舞っていく。仲がいいのかなぁ、と審神者は観察するが二人の間にはあまり会話がない。それがなんだか不思議だった。

 居間に通され、丸いちゃぶ台を三人で囲んだ。お茶をすすりながら、ふう、と審神者は息を吐く。お茶が美味しい。

「でもやっぱりこの時期は物資の支給も大変なのね。悪いことをしてしまいました」

「いえいえ、それは私も同じなので」

 さて、さっさとお茶を飲みほして帰ってしまおう。ちょっと行って帰るつもりだったので、薬研達が出陣している間に政府に行くだけでなく、寄り道までしていることがばれてしまうのはあまりよろしくない。和泉守のようにしばかれる可能性もなくはないのだ。

 当たり触りのない会話をして、そろそろ帰りますと言おうとした時だった。

「……こういうことを初対面のあなたに相談するのはよくないと思うのですが、聞いてくれませんか?」

 女性が意を決したように話し始めたのだ。

「いや、きみ。いくらなんでもそれは……彼女も忙しいだろう」

「お願いします。聞くだけでもいいんです」

 鶴丸は止めるが、女性はそれを押しのけて審神者に話しかけた。本当に悩んでいることかどうかは女性の態度から察することができた。彼女の目の隈はよく目立つ。ここ最近は全く眠れていないのだろう。

「私でよければ……」

 聞くだけなら、と審神者は断ることができなかった。鶴丸は困った顔をして、押し黙った。

「ありがとうございます。私の本丸には他に、乱ちゃん、五虎退くん、平野くん、鯰尾くん、山姥切さん、そして三日月さんがいるのですが、様子がおかしいんです」

「おかしい?」

「ええ、半年くらい前からなんですけど……人を、殺したいと訴えるんです。だから今すぐ刀解してほしいと言うんです」

 女性は真剣だ。しかし、刀剣男士が人を殺したいと言う話など聞いたことはない。審神者は自分の本丸の刀剣男士のことを思い返すが、彼らがそういう反応をしている所は見たことがない。

「それで、今彼らは」

「……本丸の地下にいます。殺人衝動がおさまるまで、と思っていたのですが衝動は強くなる一方みたいで。なんとかする方法を探しているんですけど、見つからないんです」

「私は……何も分かりませんが、この事は政府に言ってあるんですか?」

「言いました。でも……刀解しなさいって言われるだけで……私」

 下を向いて、俯いた。今にも泣きそうで審神者は焦る。

「つ、鶴丸さんは大丈夫なんですよね?」

「……あぁ、俺はなんとか大丈夫みたいだ。どうしてなのかは分からないけどな」

 急に自分に話が振られ、鶴丸は一拍遅れて答えた。

「殺人衝動が来ている刀剣男士と鶴丸さんの違いってあるんですか」

「それが分からなくて……申し訳ありません」

 どうやら、鶴丸が平気な理由は女性にも分からないらしい。

「あ、あの……もしよければ地下に行って見てもらえませんか? 私では分からなくても、他の方が見れば分かるかもしれません」

「きみ、それ以上は……!」

 鶴丸は焦った声で女性を止めた。何か理由があるのだろう。分かっていても、審神者は好奇心に負ける。

「ここまで聞いてしまったんです。見させて頂けますか?」

 二人の仲が悪くならないように、優しく微笑みかけると鶴丸はむっとした表情で、女性はほっとした表情を浮かべた。

「それでは案内します、こちらへ」

 女性がすっと背筋を伸ばし、ゆっくりと立ち上がる。居間を出る彼女を追いかけようと審神者も立ち上がるが、腕を掴まれた。――ぞっとするほど、冷たい手。肌を食いちぎるような強い力。この大きく骨ばった手を審神者は知っている。

「本当に、行くつもりか」

 審神者は手を掴む鶴丸を見る。蜜色の瞳が揺れている。

 答えようと思い、口を開いたがひゅーひゅーと喉の鳴る音しか出なかった。呼吸ができていない。離して欲しくて腕を動かすが、鶴丸はしっかりと掴んだまま。

 怖い。怖い。どうしようもなく、彼が怖い。

 視界がぐらりと歪んでいく。頭から血の気が引いて、耳が故障でもしたかのようにキィン……と鳴る。全身から力が抜けて、立っていることもままならない。

「おい、きみ! 大丈夫か!」

 ――審神者の視界は暗転した。