あねもね

2 真夜中のアンタレス

 食事の片づけが終わり、お風呂は先に国永入ってもらうことにした。その間に私は配送業者に電話をする。
 ふと時計を見ると、もうすこしで八時になろうとしていた。
 電話は3コールすると繋がった。

「今日の夕方に家具を届けてもらうよう、頼んでいた鶴丸ですけど……いつ届くんでしょうか」
『鶴丸さんですね…………えっと、すみません予定では明日の夕方になっていますが』
「えっ! ま、待ってください」

 予想外の返答に私は急いで、届予定日の控えを確認する。
 向こうの間違いであってほしいと思いながら……けれど、私が書いた日付は明日日付だった。

「すみません。こちらの間違いでした……今からはもう無理ですよね」
『そうですね。今から配送するのは難しいんですよ……。明日の朝、お届けしましょうか』
「はい、お願いします!」
「わかりました」

 通話を切っても、私は控えを見続けた。けれど、書かれた文字は変わらない。
 ああもう本当に私のばか。毛布も何もないのに……。

「上がったぞ」
「う、うんわかった!」
「何かあったのか」
「何でもないよ、私お風呂入ってくるね」

 気づかれないように私は控えをたたんで、自分の部屋へバスタオルと着替えを取りに行く。ダイニングに戻ると、国永はいなかった。

 そうして、お風呂から上がり時計を確認すると10時を過ぎている。もうこんな時間。
 私は冷蔵庫の中をあさり、この日のために用意したお酒を取り出した。

 ……まあ、椅子を並べてバスタオルをかけて一日寝ればあっという間に明日だ。自分のドジは忘れてお酒でも飲もう。実家で飲むと、両親があまりいい顔しないから。

 酔いはすぐに回り、ふわふわした感覚が襲ってくる。これなら椅子の上でもよく眠れそうだった。

「うふふーおやしゅみなさーい」

 何だかとても気分がいい。私は独り言を呟くと、椅子の上に横になって目をつむる。
 意識はすぐにどこかへ行った。


     …


「――い」

「――……の」

 誰かの声が聞こえている。動く気力がなくてそのまま再び眠りにつこうとすると突然、浮遊感がした。

「え……」

 薄らと目を開けると、国永がいた。
 すごい、国永が私を横抱きにしている……。
 そんなことを、まだ覚醒しない頭でぼんやりと考える。

「寝るなら自分の部屋で寝ないか。ほら、部屋に入るぞ……なあ、ベッドはどこだ。それとも敷布団か? どこにある」
「えーないよー」
「はあ? 姉さんは何を言ってるんだ、ばかか!」

 大きな声で言われて、思わず目がぱちっと開く。
 「ばか」なんて言われたの、いつぶりだろう。

「あ、明日届くの……」

 だから大丈夫、と笑ってみせると国永はひきつった笑みを見せた。ああ、これは怒っているときの顔だ。いつも真顔でなかなか違う表情を見せてくれないから、叱られているのにくすぐったい。ほんとう、駄目な姉だなあ私。

 国永は私の部屋を出ると、ダイニングの椅子に私を戻す……のではなくそのまま国永の部屋へと入っていく。

「え、国永?」
「姉さんは俺のベッドで寝てくれ。俺が椅子で寝る」
「それは駄目!」

 私は国永のパジャマの胸の部分をしっかりとつかむ。

「私が悪いんだから、国永はベッドで寝なきゃ」
「姉さんが椅子で寝る中、俺だけベッドで眠れるか。……離さないか」
「離さない!」
「じゃあ俺と一緒に寝るか? なんて……」
「うん!」

 私は国永のベッドに体をのせられた。国永を逃さないようにぎゅっと更に強い力で国永のパジャマをつかむ。

「本気か? ……冗談だぞ。姉さん、酔ってるな」
「酔ってるけど酔ってないー」
「……男だぞ」
「……んー?」

 国永がぼそぼそと何かを言った気がするけれど、私はよく聞き取れなくて首をかしげる。

「ああこの酔っ払いが! どうなってもしらないからな」

 国永は私の隣で横になると、乱暴に布団を引っ張り一緒の布団の中に入った。

「こういうのすごく久しぶりだね、小学生以来?」
「……あ、ああそうだな」
「最近は国永と私話せなくて寂しいかったから、嬉しい」
「寂しかったのか」
「うん、寂しい。でも国永、私が話しかけるの嫌……」

 一緒に暮らすことを話した日の国永の会話を思い出す。
 そうだ、私は何を浮かれていたのだろう。国永が普段より私を見てくれるから、つい話してしまった。できるだけ話しかけないようにするって決めたのに。

 目が熱くなってすぐに涙が出てしまう。
 お酒のせいか、どうにも感情の制御ができない。

「姉さん……」
「小さい頃は『おねーちゃん』って呼んでくれてて、中学入ったら国永私のこと呼んでくれなくなって……最近になって私のこと、呼んでくれるようになったけど『姉さん』になってるし……。私が知らないうちに国永はどんどん大人になっていって……」

 醜い感情がどんどん言葉になって口からあふれていく。
 こんなこと、国永に知られたくないのに。

「うっ……ごめん、干渉しないって言ったのに。私やっぱり椅子で寝る……国永、忘れて……ごめん……」

 パジャマをつかむ手を離して、私は上半身を起こす。こんなぼろぼろに泣いたところを国永には見せたくなかった。情緒不安定だという自覚はある。
 それなのに、強い力で腕を引かれて私の頭はすっぽりと国永の胸におさまってしまった。

「く、国永……」
「忘れるわけないだろう。後、姉さんは誤解している。俺は別に姉さんを嫌ってなんかいやしない」
「ほ、ほんとう?」
「本当だ」

 国永にぎゅっと抱きしめられて、私の視界はさらに歪んだ。大粒の涙が溢れて、国永のパジャマまで濡らしてしまう。

「私、国永が弟でよかった」

 国永が息をのむ音がした。

「私ね、国永が大好き」
「……俺も姉さんが好きだ」
「ほんとう?」
「本当だ」

 私はまたほんとうかどうか聞き返す。
 夢みたいだったから。
 ぎゅっと抱きしめる国永の体温はぽかぽかしていて気持ちがいい。私も国永の腰にそっと腕をまわす。

「おやすみなさい」
「おやすみ、姉さん」

 これ以上の幸せなんて、きっと見つからない。
 明日からも国永と二人で過ごすのかと思うと、口元がゆるんでいく。
 安心した私が眠りに入るのはすぐのことだった。


     …


 朝、目を覚ますと国永の部屋のベッドにいた。
 昨日私は、国永と一緒に眠ったことを思い出す。でも隣に国永はいない。私は髪を手でとかしながら部屋を出た。

「おはよう、姉さん。今起こそうと思っていたところだ」

 台所には既に着替えた国永がおたまを持って、味噌をとかしていた。

「その、食パンがどこにあるかわからなかったから、ご飯と味噌汁にしようと思ったんだが、駄目だったか?」
「ううん、ありがとう……」
「もうすぐできる。姉さんは先に顔を洗ってくれ。……目が、赤い」
「う、うん」

 お風呂場にある洗面台の前に移動する。
 鏡に映る自分の顔は本当にひどかった。目は少し充血し、目の下は赤く膨れている。それにパジャマのボタンが二つも外れていた。ボタンをとめようとして、私は手を止めた。

「あれ……」

 じっと鎖骨にある赤紫の痕を見る。

 こんな痕、いつついたのだろう。

 物が当たったりはしていないはずだ。知らない内に、変なドジをしてつけてしまったのだろうか。

 私は不思議に思いながらも考えるのを止め、ボタンをとめた。