濡れた唇でなにを囁くの(下)
 目が覚めたら布団の上で、細いけど骨ばった男らしい腕に抱きしめられていた。わたしと鶴丸はなにも着ていないせいで、鶴丸の体温を感じてしまう。
 あれだけずっと降っていた雨はやんでいた。
 小さな寝息が頭上で聞こえる。わたしは鶴丸から離れようと、彼を背にして腕にそっと触れた。

「ん」

 強い力で引き戻され、体がぴったりとくっつく。

「起きたのか」
「離して」
「離したら逃げるだろう」

 まるで恋人に囁くような甘い声に胸がずきずきと痛んでまた涙がでる。

「ばか!」

 ぱちん、とおもわず彼の頬を叩いた。どんな顔をしていたのかなんてみる余裕はなかった。
 鶴丸の腕をすり抜け、適当な浴衣をとりだし簡単に着替えてわたしはお風呂場まで走って逃げる。幸い、他の刀剣にあうことはなかった。

 お風呂場に入ると、体を洗い湯船につかる。暖かいお湯に包まれてわたしは目をとじた。
 昨晩あった光景が脳裏に焼きついている。

 どうしてわたしはまだ鶴丸を好きなんだろう。
 どうしてこのむくわれない気持ちが雨と一緒に流れてないのだろう。

 視界がぼやけて、耳からきぃーんと音がする。意識はゆっくりと遠のいて……ぷつり、と細い糸が切れたようなきがした。




「起きたか」
「鶴丸?」

 再び目を覚ますと、わたしは浴衣を着て布団に寝かされていた。その隣に、鶴丸が座って心配そうにわたしをみていた。

「悪かった。雨でぬれていたのに、俺が君を組み敷いたからだ。処罰なら受ける。刀解してくれてもいい」
「とうかい」

 なにをいっているのだろう。

「主である君に酷いことをした。君への気持ちを抑えられなかった。……俺のことは刀解して忘れてくれ」

 忘れてくれ?

「ふざけ……」

 ふざけないで。上半身をおこそうとすると視界がぐらりと歪み、結局頭を枕の上におくことになった。鶴丸をみると、両手が握りしめたままふるえていた。

 あんな風にわたしを抱いた男をわたしが忘れられるわけないのに。
 それでもわたしは……鶴丸がすきなのに。

 だめだ、また泣いてしまいそうだ。

「……鶴丸が、昨日女の人とアクセサリーのお店で一緒にいたのわたしみたよ。その人のことはどうするの」
「女? ……ああ君にみられていたのか。ん? いやなにか勘違いをしていないか」

「え」
「君がみたのはそのお店の店員じゃないのか。俺がすきなのは……君だ」

 昨晩わたしを組み伏せた鶴丸とは違って彼は顔を赤く染めて真剣な目でわたしをみた。
 わたしはとんでもない勘違いをしていたらしい。

「今日で君と出会って一年がたつんだ。なにか贈りたくて君に首飾りを……とおもったが気にいらなかったか? あはは……すいてない男からの贈り物なんて嬉しくないか」
「首飾りってなんのこと」
「君が寝た隙につけたんだが……」

 首から下に手をおいてやっと鶴丸の言葉の意味を理解する。首元をみると、黒い石と白くて丸いもふもふしたものが金色の鎖に通されている首飾りがあった。

 頬に暖かい雫がつたう。

「頼む、もう泣かないでくれ。君の涙をみるのは辛いんだ」

 細くて長い指がわたしの涙をぬぐう。わたしに触れていいのか迷っているせいかその指はふるえていた。

「ちがう、悲しくて泣いてるわけじゃないの鶴丸」

 彼は優しすぎるから、わたしはいつも甘えてしまう。だからちゃんとつたえよう。メッセージカードなんかに頼ったらだめだ。わたしの口でつたえないと。

「わたしも鶴丸に渡したいものがあるの。でもその前にきいてほしいことがあるの」

 今なら素直にいえる。だってもう鶴丸への気持ちがあふれて口をとざしてなんていられないから。


「――いつも傍にいてくれてありがとう。わたしはあなたが大好きです」


 心臓がばくばくなって破裂してしまいそうだけど、わたしは鶴丸をみていたかった。
 それなのに鶴丸はぽかんとした顔のまま停止していた。

「鶴丸? いやだった?」
「そんなわけあるか。その驚きすぎてどう反応すれば……その君が昨日ふられたといったのは」
「鶴丸のことです」
「……っ」

 鶴丸はそっぽをむいて顔を赤くしてしまった。そんな鶴丸をみれるのは嬉しいけれど、今はわたしをみてほしい。
 布団からでて、昨日買ったものを鶴丸の前にもっていく。

「わたしからも贈り物」
「ああ、ありが……」

 鶴丸の赤く染まった頬に唇でついばむように口づける。

「せっかく素直になったのに、なんでみてくれないの」
「ちがうこれはその、いつも君はおれの顔をみないだろう? 前はそんな君がすこしずつおれになれてくれればとおもっていたんだが、きゅうに熱い視線でみられるとどうにも恥ずかしくなってな」
「さ、昨晩無理矢理抱いたのに!」
「あの時はおれ以外にすきな男が君にいるとおもっていたんだ。それに君が雨にぬれた姿に欲情してとまらなかったんだ」
「そっ……」

 蜜色の瞳がわたしをじっとみつめる。
 なんていえばいいかわからず、わたしは口をとじた。頬を染めていてもどうしてこんなにかっこいいのだろう。

「なあ、開けてみてもいいか?」
「……うん」

 包装用紙をていねいにはいで、硝子でできた鶴とわたしの書いたメッセージカードを鶴丸がみる。


 ぽたり、ぽたり。


 大粒のしずくがおちた。

「鶴丸」

 鶴丸がわたしをぎゅうっと強く抱きしめられた。どうすればいいかわからず、わたしはそっと彼の背中に腕をまわす。

「人は嬉しくても泣けるんだな」

 かすれた声だった。
 腕の力は強くなるばかりで、すこしだけ痛いけどあたたかくて気持ちがいい。わたしも同じくらいぎゅうっと抱きしめると、鶴丸の小さな笑い声がきこえた。
 耳に、甘い息がかかる。

「今度はきいてくれるか?」
「うん、ちゃんときく」

 もう胸が切なさで痛くなることはなかった。
 耳をすます。
 全身で鶴丸の言葉をきこう。
 あなたの愛をうけとめよう。
 そうしてわたしはもっと鶴丸に愛をとどけよう。

 しあわせそうな鶴丸の声。
 大好きなあなたの声。
 もうぜったいに耳をふさがない。



「――おれも好きだ。本当に君が愛おしい」