やっときみに好きだと言えた(1)
前世の記憶というのは残酷だ。
私の場合、何度懺悔しても許されないくらいに酷い結末だった。せめて生まれ変わったら、何もかも忘れて最初からやり直したいのに、それが死んでも尚、許されない。
新品の制服に中古の私が袖を通す。高校生の制服を着た自分の姿を見ると、複雑な心境に陥った。着せられた新しい人生を、私は一歩も進んでいない。黒く長い髪に、血が通っていなさそうな蒼白の顔。能面の様に動かない私の表情に、やはり周囲は敬遠する。
これはきっと、罰なのだ。
高校生になり、二ヶ月が経つ頃。ようやく私は現状を受け入れることにした。
前世の記憶は何も最初から持っていた訳ではない。
中学三年生の冬。ちょうど、私が前世で審神者として本丸に行く事が決まった歳と同じだった。偶然ではないのだろう。必然的に、私は前世を思い出したのだ。今を生きる中学生の私を、無残に殺して。
私には前世の記憶をはねのけるほどの意志の強さなんてなかった。
九月。教室に一つ席が増えていることに気づいたクラスメイト達は先生が来るのを今か今かと待っていた。夏休みを満喫した身体と心は健康的で、対照的な私は不健康だった。夏休みなどなく毎日会社に出ていたOLの如く、席に着いたら休み明けのテストに備えて勉強を始める。
前世の記憶があるとはいえ、高校には通わずに本丸で働いていたので勉強をしなければ悪い点数を取るだろう。いい意味で目立つのも、悪い意味で目立つのも嫌である。長所も短所も出来る限り隠す。それは、前世の失敗から学んだことでもある。
先生が教室に入って来た所で、教科書とノートを仕舞う。
予想通り、転校生の紹介を始める。いつもより長い朝礼は気分が憂鬱になった。二度目の人生は一秒一秒が長く感じられてしまうのだ。
転校生が教室に入ると、クラスメイト達が息を呑む気配がする。机の木の模様を延々と眺めていた私は、彼らの反応が気になって視線を上げた。
「鶴丸国永だ。おっと、この白髪は地毛でな! おじいちゃんと呼んでくれてもいいんだぜ?」
嘘だ、と声を上げそうになる唇。
彼の蜜色の瞳が私を捉えた瞬間、息が止まる。
教室中の誰も知らない繋がりがそこにあった。私が切って捨ててしまいたい繋がりが苦しいくらいに存在する。今すぐ逃げ出したいのに、真面目な学生という身分の私にはできない。
「なあ、先生! 俺はあの子の隣がいいな!」
「何だ、二人は知り合いなのか?」
クラス中から奇異の目が、ぎょろりと向く。頭の中が真っ白になって、消えてしまいたくなった。
「そうだ、生まれる前からの関係だ」
心底嬉しそうに、彼が言う。やっと見つけたと言わんばかりの笑みで、私を無邪気に追い込んだ。綺麗な蝶を追いかけて捕まえた様な顔。もし手で捕まえた蝶が、本当は蝶ではなく蛾なのだと知ったら、彼は驚いて地面に磨り潰して殺してしまうんじゃないだろうか。
「し、知りません……」
か細い声で抵抗する。けれど、誰にも届かない。
鶴丸が私に近づいていく。たった一人の足音が、こんなに怖かったことなんてない。彼は、私の隣の席に座る。元いた寡黙な男子から席を譲ってもらったのだ。
「よろしくな」
息が苦しかった。涙を堪えて、不自然にならないように私も挨拶を返す。
「よろしく……」
口元の笑みは引きつっていた。
鶴丸はその後、何度も私に話しかけてきた。しかし私は知らないふりをした。初めましてのふりをした。記憶のないふりをした。例え、彼が悲しそうな顔をしても、どうしてなのか分からないふりをした。それでも――
それでも鶴丸は幸せそうな顔をする。ほんのりと赤い頬で目を伏せるその顔にも、私は気づかないふりをした。
放課後、逃げるように教室を出る。鶴丸が「待ってくれ」と言ってきたような気がするが聞こえないことにした。きっと、転校生だから誰かが話しかけようとする筈だ。
それなのに、腕が何かに引っかかって前へ進めない。
「きみ、待ってくれ! 校内を案内してくれないか」
「え、ええっと」
「もし今、用事があるなら明日でもいいんだ」
「明日も用事があるから、誰か他の人に頼めばいいと思うよ。それじゃあ」
会話は終わったのに、鶴丸は私の腕を離さない。
「腕、離して」
「また明日、会えるよな?」
まるで今生の別れみたいに彼は言う。
「そりゃあ、明日も学校に行かないといけないから」
「そうか……そうだな」
鶴丸はやっと腕を離した。にっこりと笑って「また明日」と手を振る。私は会釈だけして、学校を出た。
痛む腹部を押さえながら、明日、学校を休みたいと思う。
次の日も、次の日も、私は鶴丸から逃げ続けた。そろそろ諦めてもいい頃合いなのだが、彼は粘り強かった。どんなに他の同級生と仲良くなっても、私を見かけるとすぐに私の方へ行こうとする。どれほどそっけない態度をとっても、それでも諦めない。
私の知る鶴丸ならば、これは知っている顔がいることが嬉しくて話しかけているだけなのだ。もし他の刀剣男士も転生していれば、同じ態度をとるだろう。
だから、きっと、”そのうち”。
そう言い聞かせて耐え続けて、あっという間に一年半が経つ。三年生になり、クラス替えがあるものの鶴丸と同じだった時には、呪い染みていると思った。
鶴丸は男子からも女子からも好かれ、特に女子からはお菓子や手紙をもらうことがしばしばある。もう転校生の面影は少しもなく、彼はすぐにクラスの人気者へとなっていた。例え人間になっても、鶴丸は私と生きている世界が違う存在なのだと痛感する。おまけに、元刀剣男士にも関わらず勉強も出来た。
「おはよう! きみ、今日の放課後は暇かい?」
「……おはよう。今日も用事があるから、ごめん」
鶴丸が私に話しかけると、ちらりとクラスの人の視線が突き刺さる。ただの好奇心なのだと分かってはいるが、目立ちたくない私には胃が痛い。
このまま放置していても埒が明かないだろう。一度、きちんと話した方がいいと思った。私にとっても、彼にとっても。
――なのに、鶴丸と対面すると何も言えなかった。
いざ、二人になると声が出ない。「うん」とか「ああ」とか当たり障りのない相槌ばかりを打つ。違う、本当はもっと話したいことがあるのに、あなたの笑顔に甘えてしまう。何も責めずにいてくれる鶴丸の優しさを、利用している。
この怠惰な学校生活は、やはり卒業と共に終わることになった。
「卒業式が終わったら、会って欲しいんだが」
三月の卒業式、鶴丸が伝えたいことがあると改めて話してきた。終わりが来るのだと、直感する。
蜜色の瞳は揺れて、唇は震えていた。頬は僅かに紅潮しており、これがどういう意味なのか。
「うん、いいよ」
できることなら、こんな馬鹿な予想は外れて欲しいと思った。
呼び出された図書館の裏はあんまり人が来ない場所だった。風通しはよく、近くには桜の木が何本もあり、蕾のまま太陽の光を浴びている。
鶴丸は緊張した様子で、小さく息を吸って私に向き直った。
「好きだ」
胸の内を吐き出すように、ゆっくりと短い言葉を言い切った。
「ごめ……」
「返事はいいんだ! 聞かなくても分かってる。今更なんだよな。きみにとっては、何のことか分からないかもしれないが。――それでも、俺はやっときみに気持ちを伝えることができて嬉しいんだ」
泣きそうな顔で、悔いはないのだと笑う。
「今まで、ありがとう」
去って行く鶴丸の背中をぼんやりと眺める。
私と鶴丸は、それ以降関わることはなくなった。
*
大学は家から遠いため、一人暮らしをすることになった。一応、家事全般は出来るので、何の問題もない。余裕が出来れば家庭菜園もしてみたい所だ。
鶴丸も同じ大学だったが、もう話しかけてくることはなかった。既に彼の周りには新しい友人がいて、その中には女性の姿もある。自ら望んで出た結果なので、文句はない。
ただ、感傷的になって涙が零れる。
こんな別れ方もあるのだと思った。こんなにも簡単に、切ることの出来る関係なのだと思い知った。
「何で泣くのだろう」
そんなのは決まっている。
私は鶴丸が好きだからだ。
なら、どうして告白を断ったのか。
鶴丸の『好き』は私と同じ『好き』ではないからだ。
彼の『好き』は同情からくるもの――
顔を洗って、気持ちを切り替える。パシャンパシャンと冷たい水の音が意識を現実に戻してくれる。鏡に映る私の顔は力がなく、間の抜けた表情だった。
アイスティーを机の上に置くと、明日提出する課題に取り組んだ。夜は飲み会に行くので、それまでに終わらせたい。
課題は歴史修正主義者による歴史修正に関することだった。私は決着が着く前に死んだので、詳しいことは分からないが最期は大きな戦いになったらしい。審神者のほとんどは死んでおり、慰霊碑もある。その戦いを境に、審神者の力を持つ者はいないのは歴史が必要としないからなのか。それとも、他の理由があるのか……。
私も前世は審神者だったが、今は審神者としての力はない。もちろん、審神者に関係しない能力さえも――。
前世のことを思い出すと、苦しみや後悔、色々な感情が溢れてくる。
私が死んだのは夏だった。意識が遠のいていく中、臭ったあの夏の暑さ独特の臭いと死臭が未だ鼻に残っている。血で滑った肌の感触も、私の腹を貫いた鉄の塊も。全てが鮮烈だった。