前編

 おもたい腹をさすりながら、今日もわたしは政府への報告書を作成する。政府との通信は、筆で文字を書いた報告書を鳥の式神に預けてやりとりをしている。だから現代のように機械でパパッと報告できないのはこういうとき、すごくつらい。
 生理のときなんてとくに、それを実感してしまう。

「ふ……う」

 筆をおいて、両手で腹をおさえて息を吐く。
 襖をあける音がして、振りむくと鶴丸がいた。にっと唇を横に引きのばし、片手にはお茶のはいった湯呑を持っている。

「よっ主、はかどってるか?」

 鶴丸は机の上に湯呑をおくと、わたしの隣であぐらをかいた。

「あともうすこしだけど……どうかしたの?」
「頑張ってる君に、なにかしてあげたくてな。お茶くらいしかおもいつかなかったが」
「え、これをわたしに?」
「おいおい、まさかおれが飲むお茶だとおもったのか」
「それはまあ……」

 鶴丸は「はあ」とため息を吐くと、口元をゆるませた。君はほんとうに仕方のない子だな、と蜜色の瞳がほそくなる。

「のんでくれ。君のために持ってきたお茶なんだ」
「ん、いただきます」

 湯呑に口をつけると、わたしがおもった以上に喉はかわいておりゴクゴクと音をたててのんでしまう。その姿を鶴丸にじっとみつめられてむせそうになった。

「ごちそうさま」

 湯呑を半分空にしてわたしは机の上におく。

「それだけでいいのか? ばてるぞ」
「鶴丸も喉かわかないの? 後は鶴丸がのみなよ」
「い、いいのか。君はそれで」
「持ってきたのは鶴丸なんだから、飲んだらいけないなんてないでしょう」
「そうか……」

 鶴丸は口元を手で隠し、湯呑をみつめていた。その頬はほんのりと赤く染まっている。ばててしまわないか心配だ。
 わたしは湯呑をとり、鶴丸の唇に湯呑を近づけた。

「鶴丸が倒れたら困る」
「ああ、わかった……」

 湯呑を片手でもつと、鶴丸は横をむいてお茶をのむ。こくりこくり、とゆっくりと彼の喉が上下する。

「残りは君が飲んでくれ」

 再び机の上におかれた湯呑の中身はほとんどかわっていない。

「鶴丸?」
「お茶ならまだ勝手場に残っている。おれはそれを飲む」

 立ち上がった鶴丸の顔は耳まで赤かった。
 こんなに風通しの悪い部屋より縁側で飲んだほうがいいだろう、とおもったわたしは「そっか」としか返事ができない。

「それじゃあ、報告書がんばれよ。それと、冷やさないようにな」

 鶴丸はわたしの膝に自分が羽織っていた上着をかけると、部屋から出ていってしまった。
 そっとその上着に触れるとやわらかい。鶴丸の体温がまだ残っていて、どきどきする。

 いや、報告書を終わらせなければ。鶴丸のことを意識している場合ではない。

 わたしは筆をはしらせる。
 鶴丸と話をしていたからか、腹の痛みはだいぶ和らいでいた。働かなかった頭も驚くほど働いて、報告書はすぐに完成した。


     …


「うそ……」

 おもわず、声がもれた。

 股の間は血がどろりと落ちている。

 いくらなんでも早すぎる。だってこの前、生理が終わってからまだ二週間しかたっていない。周期が短くなっている? でも、それだけじゃない。一週間以上は血が出続けているし、生理痛も前より酷くなっている。あまりの痛みに今日は腰をあげることができないほどだ。

 真夏の暑さと蝉時雨で憂鬱になる。

 昨晩”嫌な予感”がしたので、なんとか浴衣や布団に血が付着してしまうのは回避できたけれど……。

「大将、寝てるのか? ……はいるぜ」

 数秒して、声の主が襖をあけた。薬研はわたしをみると、目を見開いた。めずらしい。

「薬研」
「なんだ、起きてたのか大将。いやそのままでいい。顔が真っ青だぞ。朝餉はおれっちが持ってくる。大将はそのまま寝てろ」
「ありがとう……」
「これくらいきにするな……と、そうだ大将。廊下に落ちてたぜ。大将の字だろ」

 わたしは薬研にどこかから破ってとってきたみたいな、くしゃくしゃの紙をわたされる。


 『なにがあっても鶴丸を許して』


 書いた覚えのないメモだった。けれどそれはどこからどうみてもわたしが普段使っているボールペンで書かれた字だし、字の癖もわたしと同じだ。

「ねえ、薬研この覚え書きって」
「なにがあったのかはわからねぇが……さっさと仲直りしろよ?」

 薬研に眉尻をさげられ困った顔をされてしまうと、もうそれ以上追及できない。まさか書いた覚えがないなんていえない。

 その後、薬研は朝餉を運んでくれた。わたしは体調が悪いこともあり、あまり食欲がなかったがゆっくり食べてくれという薬研の言葉に甘えてほんとうにゆっくり食べてしまった。
 その間、覚えのないメモに関しての話は一切なかった。

 その日の出陣先はできるだけ傷を負わない場所になった。わたしの体調のせいで刀剣たちが存分に力を振舞えない状況はもうしわけない。女に生まれたことを後悔したことはいままでなかったけれど、みんなが戦っている中じぶんだけ布団の中にいるのは……つらい。
 歯を食いしばって痛みに耐え続けているだけで疲れしまったのだろうか、瞼が重い。眠ってしまうわけにはいかないのに……意識が闇におちてしまう。




 ひたいをやさしくなでる感触がして、わたしは目をさました。

「起こしてしまったか」

 首を横にかたむけると、今日の隊長をつとめた鶴丸がいた。

「ごめんなさい、寝てしまって」
「あやまることはない。君はいつもがんばりすぎなんだ。こういう時くらい寝てくれ」
「すこし寝たから、もうそれほどつらくないです」

 まだすこし腹の痛みは残るけれど、頭痛や眩暈はなかった。上半身だけを起こすと、鶴丸は「参った」とつぶやく。

「なにが参ったの?」
「そういいたい気分だっただけだ。とくに意味はないぜ」
「変な鶴丸」
「ちがいない」

 はは、と笑って鶴丸はわたしの肩に手をおいて、わたしを布団に寝かせた。

「まだつらいだろう。夕餉はおれが持っていく。もうすこし寝てくれ」
「でもこれ以上は」
「もうすこしおれを頼ってくれ。みんなも君を心配している。体調が戻ったら短刀たちとたくさん遊んでやってくれ」

 ちゅっと耳元で音がした。
 不意打ちだった。

「鶴丸!」
「おれも夕餉を作ってくる。楽しみに待っていてくれ」

 わたしから勢いよく離れると、鶴丸は部屋を出ていった。
 心臓がばくばくと音をたてている。きづかれなかっただろうか。
 鶴丸に触れられた箇所があつくて、すこし濡れた耳たぶにふれるとさらに体温があがった。



 寝てくれ、といわれたけれどわたしは起きあがった。
 まだすこし痛む腹をおさえながら、机の引き出しにある日記帳を取り出した。赤い日記帳をひらき、今日のページに薬研からもらったメモをはさむ。
 ついでに今日のことをもう書いてしまおうと迷っていると、襖がひらいた。

「あ、る、じ?」

 鶴丸は目を細め、口元は弧をえがいているのに、笑っているようにみえない。
 あわててひらいた日記帳をとじた。

「夕餉、作ってくるんじゃなかったの?」
「……作ろうとおもったさ。それなのにおれは勝手場に立つなといわれた。夕餉は薬研がもってくる。それまで主のお守りをしていろといわれたんだ……まあ、戻って正解だったな。なにをしているんだ」
「つ、鶴丸」

 うしろから肩にあごをおかれて、わたしは赤面した。ゆるく腰に腕がまわされ、体が硬直してしまう。

「鶴丸、どうして」
「どうしてだろうな?」

 たぶん、わたしが寝ていなかったからだろう。そうだとわかっているけれど、わたしは意識してしまう。

「主、この手記はなんだ?」

 鶴丸はそのままの態勢で話を続けた。耳元できこえる声は甘い。顔を動かしたら耳に唇があたってしまうのではないか、とおもうとわたしは首を動かすこともできなくなる。

「なんでもない。すこし確認したいことがあっただけなの。今から布団にはいるから」

 日記帳をもとあった場所に戻す。
 鶴丸から離れようと、彼の腕に触れると案外あっさりと抜け出せた。
 あまりにも簡単に体が離れて、わたしは鶴丸を凝視した。

「どうした?」
「……なんでもない」

 体はもうそれほどしんどくはないのだけれど、わたしはおとなしく鶴丸にしたがう。今、わたしはどんな顔をしているのだろう。わからないし、鶴丸にしられたくなくて布団で顔をかくす。

 布団の端で身を丸めていたせいか、鶴丸が布団にはいってきた。

「鶴丸、なにをして」
「主がまた布団から抜け出さないようにしないとな。それに、今日は暑い」

 さっきよりも強い力で抱きしめられる。鶴丸の手がわたしの腹をなでた。いかがわしい感じはまったくないのにわたしは「ほぅ……」と息を吐いた。

「ねえ鶴丸。暑いなら離れたほうが」
「これなら夏の暑さはきにならないだろう?」

 いっている意味がわからない。わたしはどうして鶴丸に抱きしめられているのだろう。
 耳まで赤くなっていることは、みなくてもわかる。それに暑さと緊張で汗をかいているし、わたしは生理中だから。臭ったりしないだろうか。

 ……けれどこんなふうに鶴丸に触れられるのは嫌ではなくて、腕をのばして拒むことはできなかった。

 体がはなれたときの寂しい気持ちを一度しってしまったから。
 お互い、言葉を交わすこともなくそのままじっとしていると襖がゆっくりと開いた。

「大将、鶴丸の旦那……そういうことは夕餉を食べてからにしてくれ」

 布団から顔をはなすと、薬研がいた。ほとほとあきれたような表情をして、夕餉をのせた盆を持っていた。

「主と一緒に夕寝をしていただけだ」

 鶴丸はいつもの快活な声音で話す。
 まわされた腕は、いつの間にか離れていた。