結婚の報告は面倒だったが、鶴丸さんとの生活は順調だった。元々、私と鶴丸さんは無言で一緒にいても苦にはならない関係だ。食事の時間だけ顔を合わせるだけか、書斎で顔を合わせるくらい。こんなに気が楽な同棲もそうそうない。
しかし、いつまでもこの平穏が続くことはなかった。
病院の一室に私と鶴丸さんは入った。部屋の窓は少し開けているので、カーテンがゆらゆらと揺れている。私達が入ると、鶴丸のお婆さんはにっこりと笑う。今日は、鶴丸のお婆さんのお見舞いをする日だ。
「来てくれたのね」
「元気にしていたかい」
「ええ、入院なんて本当に大袈裟だわ。あなたたち二人も元気そうね。孫の顔はいつになるのか楽しみだわ」
「いや、その話は……」
鶴丸さんが分かりやすいくらいに狼狽えた。私と鶴丸さんで子どもを作ることに関しては、結婚しようと言われた時に手を出さないと鶴丸さんは言っていた。
「まさか初夜も何もしていないなんて言わないわよね?」
「あ、あぁ……したさ」
嘘です。してないです。別々の部屋でぐっすり眠りました。
鶴丸さんは耳だけが赤くなっていた。とても私が口を開ける雰囲気ではない。
「避妊は?」
「そうあけすけに聞かないでくれ!」
軽く怒っている鶴丸さんに、お婆さんはふふふと楽しそうに笑った。私も構えてしまったが、半分は冗談なのかもしれない。とはいえ、現実的に考えて結婚したのに、子作りをしていないまま一緒にいるのはどうなのだろう。鶴丸さんに兄弟はいない。周りが子どもを望んでいるのなら、困るのではないだろうか。そして私と鶴丸さんの間に新婚らしい甘い雰囲気は皆無なのもあって、仮面夫婦だとバレてしまう可能性は十分に有り得る。疑われるのは時間の問題だろう。今の生活に不満はない。だから手放すのは惜しいと感じた。
「つるまるー! あそんで!」
突然、後ろの扉がガラガラと開くと、小さなこども三人が鶴丸さんに近寄った。
「い、今は大事な話をしていて……」
「いいから、遊んでやりなさい。あなたが来るのを待っていたんですよ」
鶴丸さんは困ったように私を見た。
「悪い、行ってくる」
「いってらっしゃい」
鶴丸さんは子ども達に引っ張られて、病室を出て行ったしまった。残ったのは私とお婆さんだ。
「私はよく入院するんだけど、国永はその度にお見舞いに来てくれて、入院している子どもの相手をしてくれるから、子どもに人気なの」
「そうだったんですね」
「ねえ、国永のことは好き?」
好きです、と言わなくてはいけないのに、私は固まってしまった。お婆さんはそんな私に対して笑みを崩さない。
「突然、ごめんなさいね」
「いえ……好きですよ」
「国永もあなたのことが好きだと思うわ。私ね、あなたに初めて出会った時、嬉しかった。本当に欲しい物を言ってくれない国永があなたと交際していたから。だから子どものことも何も話してないのかと思ったの。余計な事、言ってしまったわね。でも知って欲しかった。こっちに来て」
おばあさんが手招きするので、私は近づいた。窓を見て、と言われて従うと、白髪の成人男性が数人のこども達と一緒に遊んでいた。
「もう大人なのに、子どもみたいに遊んでる」
「そうですね」
上から見ていても、鶴丸さんと子ども達の笑い声が聞こえてきそうだった。もし、子どもができたら鶴丸さんは立派な父親になるだろう。けれど、私と鶴丸さんの関係がこのままではそれを迎えることは一生ない。
鶴丸さんが欲しい物を言わない人だというのなら、やはり彼は他に好きな人がいるのだろうか。その人のことを手に入らないと諦めているから、私のような恋愛感情の必要がない人間を結婚相手に選んだのかもしれない。そう考えると、納得してしまう。
私の瞳に映る鶴丸さんは、大きく口を開いて笑っている。私は昔から、鶴丸さんのそういう無邪気な顔を遠くから眺めることが好きだった。
家に帰ると、鶴丸さんはソファに横になった。それもそのはず。彼の肉体は子どもではない。入院中とはいえ子どもを何人も相手にすれば疲れるだろう。
冷蔵庫から麦茶を出して、コップ二つに注いで鶴丸さんに渡す。
「鶴丸さん、お疲れ様です」
「ありがとう」
鶴丸さんは体を起こして、コップを受け取った。私は隣のソファに座って麦茶を飲み、さて、どうやって切り出そうと考えていたら鶴丸さんが先に口を開いた。
「今日、俺の祖母が話したことだが、きみは気にしなくていいからな」
「子どものことですか」
「きみにそういうことをさせる訳にはいかない。何とか諦めてもらうさ」
「鶴丸さんはいいんですか? あんなに子どもと楽しそうに遊んでいたのに」
「見ていたのか。……いや、俺はいい。きみにも負担がかかるだろう」
「私はいいですよ」
「子ども好きだったのか? 俺はてっきり苦手なのかと思ったぜ」
驚いた、と言わんばかりに目をいっぱいに広げて鶴丸さんは私を見た。
「好きか嫌いかと問われたら好きです。どうします? 作りますか? それとも、やっぱり誰か好きな人がいるとかそういう事情があるんですか? それなら、それでいいですけど」
「い、や……いないさ」
鶴丸さんは私の目を見ることもせずに、歯切れの悪い返事をした。
「そうだな。きみが本当にいいのなら、してみるかい?」
「いいんですか?」
「きみこそ、いいのか? いつかちゃんと恋をするかもしれない、その時は」
「そんな日は来ません」
私に恋はできない。本の中の登場人物に共感することはできても、現実はまた違う。鶴丸さんは眉間に皺を寄せた。
「どうしてそう頑ななんだ」
「する必要を感じません。それに、ならどうして鶴丸さんは好きでもない私と結婚したんですか」
「それは――」
鶴丸さんの声は止み、開いていた口はそっと閉じられた。
「鶴丸さんがいつか私と離婚するつもりなら、子どもは作らない方がいいかもしれませんね。……というより、さすがに私とそういうことなんてしたくないですよね。変な事を言ってごめんなさい」
「俺はきみと離婚するつもりはない。きみが誰かに恋をした時、俺はすっぱり諦めるさ」
彼の言葉は静かな怒気を孕んでいた。言いすぎたかもしれない、と思っても後の祭りだ。射抜くように強い眼差しで、私をしっかりととらえる。
「きみがそこまで言うなら、今夜にでもしよう。幸い明日も休みだ。いくらでも励める。逃げないでくれよ?」
コップを机に置くと、鶴丸さんは自室に入ってしまった。
私は放心状態で動けずにいる。
鶴丸さんの本心を引き出すつもりが、怒らせてしまった。なんて馬鹿なことをしてしまったのだろう。彼が私と結婚しようとした理由なんて、私が鶴丸さんに何かを期待したりしないからに決まっているのに。
それよりも、どうしよう。本当に子作りをするのだろうか。いや、子どもが欲しいのなら色々よくしてもらっている鶴丸さんへの恩返しで一人くらいと思ったのだから、彼が乗り気になったのはいいことだ。しかし、あんなに怒らせるつもりではなかった。……鶴丸さんを怒らせる前は全く想像もできなかったのに、今は鶴丸さんに襲われる自分を想像することができてしまう。何よりも信じられないのは、そういうことを考えて頬が火照ってしまっていることだった。
遠い昔なら、政略結婚で好きでもない男の人と布団を一緒にすることは普通だったのだから、こんなことで緊張しないで欲しい。
晩御飯を食べて、お風呂に入り、とうとう時刻は午後十時となってしまった。あれから、鶴丸さんとは一度も顔を合わせていない。晩御飯は珍しく、別々で食べることになってしまったし、私も私で鶴丸さんの足音がすればすぐに部屋に戻ってしまった。どんな顔をして話せばいいのか分からない。これじゃあ意識していることがバレバレだ。
「今日、するのかな……」
その場合、鶴丸さんがこの部屋に入ってくるということだろうか。それとも私が鶴丸さんの部屋に行かないといけないのだろうか。
ぺた、ぺた、と階段を上る音がした。私は思わず、電気を消して布団に潜り込んでしまう。だって、鏡を見なくても分かるくらい私は耳まで赤くなっている。電気をつけていたら、すぐにばれてしまうし、かといって電気を消して鶴丸さんと向かい合うのもおかしい気がした。
「起きてるかい?」
部屋の扉が開いて閉じる音がした。鶴丸さんは部屋に入ってきたようで、ベッドのスプリングが揺れて、シーツが擦れる音がした。私は目を開かず、じっと動かずにいた。
「起きているんだろう?」
顔を覆っていた布団を剥がされ、耳元で囁かれた。艶やかな囁きに、身体がビクリと反応しそうになる。そして横向きに寝ている私の身体を仰向けにされると、ワンピースの肩紐をずらしていく。胸元が露になり、今すぐにでも肩紐を上げたくなる。そこまでは我慢できたのに、唇の中に鶴丸さんの舌がぬるりと侵入してきて思わず目を開いてしまった。
「……ッ」
暗くても分かる、蜜色の瞳と目が合う。その瞳は怒りとは違う熱を孕んでいる。
「あっ……」
怖くて目を逸らすと、ぐちゅり、と私の唾液を鶴丸さんが吸ってとうとう声が漏れた。普段よりも高い声は、私らしくない。どうしてそんな声が出たのかも分からないまま、私の舌は鶴丸さんに絡められていく。じんじんと舌は痺れて、柔らかい唇は何度も私を啄んだ。キスをしたことも初めてなのに、深すぎる口付けは私から酸素を吸う機会をことごとく奪っていく。息を吸うことができなくて、胸を叩くと鶴丸さんは唇を離してくれた。つう、と銀色の糸が今まで繋がっていたことを教えてくれる。
「息、できなかったのかい」
「キス、したことなかったから」
「……それならセックスも?」
「付き合った人もいないんだから、ある訳ないでしょう」
「きみはそれなのに、子どもを作ってもいいなんて言ったのか」
「それが何?」
「後で後悔するかもしれないぜ」
「それは……鶴丸さんが、後悔させないようにすればいい話でしょう。私の中に鶴丸さんの精子を入れるだけなんだから、簡単なことだし。後、痛くても全然構わないから」
鶴丸さんは唇を尖らせると、不満そうな視線を向けてきた。
「今のきみには何を言っても無駄らしい」
「私、何か変なこと言いました?」
私が問いかけても、もう鶴丸さんは何も答えなかった。私のパンツを脱がせると、大きく股を開かせる。そして、陰部をそっと撫でられた。
「あの、何をしているんですか」
「何って、解してる」
「触らないと入らない?」
「とても入りそうにない。そもそもきみは処女だ。最初はちゃんと時間をかけなければ、入らないさ」
やはりそうそう簡単にはいかないらしい。もしかしたらできるのではないかと思ったけど、鶴丸さんが入らないというのなら入らないのだろう。私自身、一度もそこには指を這わせたことがない。はっきり言うと、自慰をしたことがない。そんな体だけど、入らないことはないと思っていた。
「無理矢理開いたりしても、大丈夫ですよ、私」
「……こんな色気も何もない雰囲気じゃあ、濡れないよな」
「だってそんな、色気のある関係でもないし」
「うーん、仕方ない。きみが嫌がるだろうと思ったんだが、するしかないか」
「私は別に痛くても全然構わないので、気にしないで」
「いやそういう話ではないんだが……まあいいか。あんまり嫌がらないでくれよ?」
痛いのは最初だけだから、それなら今回我慢すればいい。それでも入る瞬間を見るのは少し怖いので目を瞑る。すると、私の秘所に触れたのは鶴丸さんの股間にあるものとは明らかに違う、ぬめりのある薄い何かだった。熱のあるそれは肉のひらひらを一枚一枚、ゆっくりと濡らしていく。
「ひゃっ、な、ん……」
「暴れないでくれ」
「〜〜ッ」
鶴丸さんの声が、私のお腹の下辺りから聞こえて、確信する。両股をしっかりと掴む腕、股に触れるさらさらとした髪、そして股の先にかかる吐息。当たって欲しくはないけれど、たぶんこれは鶴丸さんの舌だ。彼の舌が、私の秘所を舐めている。
「そこ、汚いからやめ……ふっ……ッ」
普通なら躊躇うような場所に鶴丸さんは舌を這わせる所か、ちゅう、と音を立てて吸った。なんて恥ずかしいことをする人だろう。嫌ではないのだろうか。嫌でない筈がない。私が濡れていないから濡らすために、まさかここまでしているのだろうか。嫌がらないで欲しいと言われたけど、普通は逆だ。
「きみが読んだ本の中にはこういうことをする話はなかったのかい」
「確かに、舐めたりする描写が入っていたものもあったけど、あれは架空の話であって」
「現実ではしないと思う?」
「当然でしょう。気持ち悪くないんですか」
「別に、気持ち悪くなんてないさ」
「信じられない」
「とはいえ、舐めないと入らない」
「……先に、自分で道具か何か使って開けてからの方がいい? 確か、通販とかで売っていたからそれを使った方が早……ッ、やだ、う……ッ〜〜!」
歯が、私の陰部に突き立てられた。どうしてか、また怒らせてしまったらしく、股を掴む鶴丸さんの腕に強い力が入って痛い。お腹の奥は触られた訳ではないのに、きゅう、と切なく疼いた。腰を動かして避けようにも、鶴丸さんの顔はぐいぐいと私の股の先に押し付けられ逃れられない。
「そこだ、だめ……! もう濡れてる、濡れてるってば、うっ、鶴丸さ……ンンッ」
じゅるじゅるぐちゅぐちゅと、わざと音を立てているとしか思えないほど酷い音をさせながら鶴丸さんは私の秘所を舐めたり吸ったりした。それだけで私は息が切れてしまう。もうこれ以上、濡らす必要なんてない筈なのに。
「ひ、ん……もう、本当にこれ以上は……」
鶴丸さんに秘所をいじり続けられ、私はやっと自身の身体の変化に気が付いた。頭も、手も、足も、全てが熱っぽい。ただ舐められているだけなのに、私はじんわりと汗をかいていた。そして、認めたくないことだけども、私はこの行為を気持ちがいいと思い始めている。まさかこんなに執拗に、私の弱い所ばかりを攻められるとは思わなかった。どうしよう。このままだと、私は鶴丸さんの前ではしたなく乱れてしまいそう。そんな姿は見せたくない。鶴丸さんに、そんな女らしい姿なんて見せたくない。
けれども、私の身体は知ってしまった快楽をそう簡単には手放せない。お腹の下の疼きはどんどん大きくなり、私の言う事を聞いてくれない。ああ、もう、私が気持ちよくなる必要なんてないのに。
「――ッ」
不意に、軽い絶頂が訪れた。
今までで一番、変な声が出てしまいそうで口を両手で塞いだ。どうせ逃れることができないなら、せめてこの喘ぐような声だけは聞かれないようにしたかった。でも、鶴丸さんは私の秘所をいじるのを止めなかった。そのせいで、私はまた軽い絶頂を迎える。それを何度も何度も繰り返されて、だんだん私の頭は白く染まっていく。声のない声を出し続けた喉は、きゅう、と痛む。喉も、胸も、股の間も苦しかった。
「鶴丸さん……」
声はかすれてしまった。何かを伝えるべきなのに、私は何を言えばいいのか分からない。
「ごめんなさい、私――」
真っ暗な部屋が遠くなる。聞こえていた筈の音も、遠くなって何も分からない。瞼が閉じるより先に、私は意識を手放してしまったのだった。