1 酔っ払い
 友人の結婚式の二次会。中学からの友人の結婚式なので、二次会は同窓会みたいなものになっていた。本当は参加したくなかったけれど、それ以上に今は家に帰りたくない。参加した人に適当に挨拶をして、場が盛り上がってきたところで私はそこから少し離れた席で一人静かにお酒を飲んでいた。

「この席、いいかい?」
「は、はぁ……」

 よくない。と思いつつ、私は曖昧に返事をする。できればどこかに行ってくれないかなぁ、という遠回しな意思表示。それに気づいているのか気づいていないのか、その人は私の向かいの席に座る。絶対に顔を上げまい、と心に決めて私はお酒を飲む。その内飽きて、他の人の所に行くだろう。

「きみ、すごいなぁ。どれくらい飲んだんだい?」
「さぁ? 覚えていません」

 私はお酒が入ったグラスを飲み乾した。さて、次は何を飲もう。メニュー表を見ながら考えていると、くつくつと喉を鳴らして笑う気配。何だ、この人は。笑い終ると、「すみませーん」と店員を呼び出した。

「頼むんだろ?」
「……別にそういうわけじゃ」

 行動を先読みされたことがなんだか癪に障って、つい否定をしてしまう。

「それじゃあもう今日はお酒飲まないんだな、いいことだ」
「……やっぱり頼みます」

 なんだろう、この意地の悪い人は。一度は顔を拝んで、これから先関わらないようにしようと誓い、ちらりと目線を上げる。すると、信じられない人物が目の前にいた。

「えっと……鶴丸、さん?」
「よっ、驚いたか? それにしても、きみが俺を見ないから焦ったぜ。一瞬、嫌われたかと思った」

 頬杖をついてニヤニヤしながら私を見るのは、間違いなく鶴丸国永だった。
 髪は銀色。肌は陶器のように滑らかで白い。瞳は星が散りばめられたような綺麗な色で、桜色の唇は小さめ。顔は美人でありながら、身体は男らしい。そういう、アンバランスな見た目をした男。

 鶴丸さんと私は中学時代からの知己だ。時々、二人きりになった時にだけ話す程度の仲なので、高校を違えてからは疎遠だったけれど。

「すみません、気づきませんでした。久しぶりです」
「ああ、久しぶりだな。元気そうでなによりだ」
「それよりここにいて、いいんですか? 鶴丸さんモテるんですから、あっちの人の多いところに行った方が」
「いやもういいだろ。それより疲れたんだ、きみと静かに話がしたい」

 ……何年経ってもこういう所も変わらないらしい。
 昔から鶴丸さんは人の輪から外れたい時に私の傍に寄ってきた。何か話す時もあれば、何も話さずに同じ場所にいることもある。
 鶴丸さんが私の傍に来るのは、私があまり人を寄せ付けないタイプで、変な勘違いもしないからだろう。知り合い以上友達未満は相変わらず。私もこれ以上、距離を詰めるつもりもないし、傍にいて煩わしく思うこともないからそのままだ。

「別にいいけど」

 それよりもお酒だ。私はテーブルに来た店員に自分が飲むお酒を告げる。鶴丸さんも追加でお酒を頼んだ。

「きみはお酒に強いのかい?」
「どうでしょう、分かりませんね。すぐに酔う時もあるし、全く酔わない時もある……かな」
「気分次第ってことか」
「そうです」

 軽く返事をすると、鶴丸さんは楽しそうにまた喉を鳴らす。

「お酒を飲める歳になってもきみは変わらないんだなぁ」
「鶴丸さんだって、困った時に私の所にくるの、変わってません」
「ん……きみはそういう風に思っていたのか」
「違うんですか?」
「んや、半分当たり……かな」

 じゃあもう半分は、と聞こうとして店員が頼んだお酒を運んできた。とりあえず、飲もうぜと鶴丸さんがグラスに口をつけるので、私も聞くのはやめてお酒を飲む。頭が少しぼんやりしてきた様な気がする。そろそろ酔ってきたかもしれない。

「突然こういうことを聞くのも何なんだが、きみは結婚とかする予定はあるのかい?」
「なんでそれをきくんですか……」
「ああいや、言いたくないならいいんだが」

 唐突に、鶴丸さんは私が今一番気にしていることを突いてきた。できるだけ帰りたくないというのも、このヤケ酒も、それに関係している。
 嫌なことを思い出した。
 私は一気にお酒を飲み、鶴丸さんを睨む。

「結婚なんて、したくありません」
「それはまた……どうして」
「私がまともに恋愛なんてできると思いますか?」
「ん、できるんじゃないのか?」
「無理です」
「そんなはっきりと」

 あ、これは引いてる。と分かるけれど、私の口は止まらない。女の人に結婚のことをつつく鶴丸さんが悪いのだ。

「とにかく無理です。それなのに、結婚の話になる度に母は結婚はまだかまだかってうるさいし。いっそ適当な人と結婚してしまった方がいいのかなぁ、とか色々考えてなんか……」

 私は昨晩の母との喧嘩を思い出す。
『あの子ももう結婚して、あなたの周りもう独身の人なんていないんじゃない? そろそろあなたも結婚しなさいよ。三十路なんてすぐよ。お見合いした方がいいんじゃない? ちょっと聞いてる――ちゃん。今結婚しておかないと、もう後は老けるだけなんだから。貰い手が……』
 嫌だ嫌だ嫌だ。こんなこと、結婚式の二次会で言う事じゃない。

「もういやです、この話はやめましょう」
「いやだめだろう。きみ、どうでもいい人間と結婚するのかい?」
「どうせお見合いすることになるんじゃないですか」

 珍しく食い下がる鶴丸さんを不思議に思いつつ、私はお酒を飲む。

「――それなら俺と結婚しないかい?」
「ぶっ」

 一瞬聞き間違いかと思ったが、そうではない。私は思わずむせて、お酒をほんの少し吐き出してしまった。なんと汚い。それも鶴丸さんが変な事をいうからだ。私は傍にあるお手拭きを手に取り、吹いてしまった場所を拭く。

「意味が分からない」
「調度、俺もきみと同じような目にあっていてな。それならと思ったんだが、だめか」

 だめかとかそういう問題ではない。久しぶりに会って結婚しようなんてどうかしている。そもそも私のことを好きというわけでもないのに。

「鶴丸さんなら彼女くらいいるでしょ」
「今はいない」
「作ればいいでしょう」
「結婚したいと思うほどの子がいない」
「だからってなんで私が」
「きみなら、割り切って生活できるだろう。住む家はもう建ててある。家賃はいらない。形だけでいいんだ。きみに手を出すつもりはないし、家事洗濯掃除はちゃんと当番制にしよう。今の仕事ももちろん続けていいし、きみがちゃんと結婚したい相手ができれば離婚しよう。それでも駄目か」

 私は反撃することができず沈黙してしまう。条件がよすぎる。特に家賃。

「そんなにいい条件なら他の子ほいほいくるでしょう」
「俺はきみといる方が楽だ。きみなら分かるだろう」

 ちらり、と鶴丸が視線を投げた場所は新婦の周りにいる同級生達。女の子はお酒を飲みつつ、はしゃいでずっとお喋りを続けている。要は家の中でもわいわい騒ぐのが嫌というわけだ。気持ちは分からなくもない。

「さすがに考えさせて」
「ああ。俺もまともに恋愛はできそうにないからな。前向きに考えておいてくれ。と、いうわけできみの連絡先を教えてくれ」

 私と鶴丸さんは連絡先を交換する。私の数少ない電話帳に鶴丸国永の文字。

「これできみといつでも連絡がとれるな」

口元を緩ませてこちらを見てくる鶴丸さんが恥ずかしくて私はグラスに残ったお酒を飲み乾した。いつもよりペースが速いことも今は気にならない。
 外見の整った鶴丸さんが頬を僅かに紅潮させて微笑む様は本当に目に毒だ。私は返事をせずにそっと目を逸らす。

「お、まだ飲むだろ? 店員を呼ぼう」

 ええ、ええ。飲みます。飲みますとも。
 鼻歌でも歌いだしそうなほど上機嫌な鶴丸さんから逃げるようにじっとメニュー表を見る。こうなったら限界がくるまで飲んでしまおう。


     …


 チリリ……チリリリリ……。
 頭に響く高いベルの音。毎朝聞いているというのに、未だに慣れない目覚まし時計のアラーム。いや、慣れたら慣れたで問題なんだけれど。
 アラームを止めようと、私は頭を上げる。

「イッ……!?」

 すると突然、キィンと鋭い痛みが走った。あまりの痛みに私は頭を抑えた。なんだこれは。どうしてこんなに痛いのか。
 数秒たっぷり考えて、私は一つの結論に辿り着く。そうだ、私は昨晩延々とお酒を飲んでいたのだ。
 痛みの理由が分かると、更に痛みが酷くなったような気がする。私は今度こそアラームを止めて、再び横になった。こうなることは既に予想済み。なので今日は休みにしている。いやぁよかったよかった、無事に二日酔いだ。でもそれなら寝る前にアラームを切っている筈なんだけどなぁ、と思いつつ私は二度寝を――

「ちょっと、もう起きたんでしょう? 朝ご飯できたから降りてきなさーい」

 ――我が母によって阻まれたのである。
 むくり、と起き着替えようとして、着替えずに寝てしまっていたことに気がついた。こんな状態でよく帰ることができたものだ。パーティードレスのプリーツもぐちゃぐちゃになっている。まあ、親しい人間の結婚はもうしばらくはないだろうから、その時は他の年相応の服になっているだろう。私はドレスを脱ぎ捨て、家で普段着ているだぼだぼのTャツとジャージに着替えて部屋を出る。その間も頭はくらくらして、しゃがみたくなったり壁に当たりそうになったり……。人生初の二日酔いを謳歌した。いえい、計画通り気持ちが悪いぜこんちくしょう。
 リビングに近づくと食パンの焼けた匂いと、じゅわじゅわと何かがフライパンで焼かれる音。吐き気と空腹が一緒に来て私の気分は下降と上昇をぐわんぐわんと繰り返す。

「おはよー」

 浮遊感を感じつつ、いつもの定位置の席に座ってちょっとだけ目を瞑る。朝ご飯はまだできていないらしい。もう、できてから呼んで欲しかった……。

「おはよう」
「んー」

 前の席から声がしたので適当に返事する。さっき挨拶したしいいだろう。

「もう、だらしがないわねぇ」

 キッチンからは母の叱り声。口答えをしてもいいことはミジンコほどもないので、そのまま黙っておく。
 カチャカチャと食器の音がして、料理が運ばれてくる。食パンに目玉焼きとベーコン、キャベツの千切りにコーンスープ。朝ご飯にしては普段よりも豪華なんじゃないだろうか。いつもなら食パン一枚。それも、食パンの表面に薄く色がついた程度の焼き加減なのに、目の前にあるのはこんがりきつね色。……熱々の美味しい朝食が食べれるのなら、理由なんて何でもいいか。

「いただきますー」

 食パンにマーガリンをつけてから齧る。外はカリカリ中はもちもち。トースターで焼くだけだが、程度によって美味しさは変わるものだ。

「あ、鶴丸くんも朝食はまだでしょう? 食べて食べて」
「朝食まですみません」

 母が誰かと会話をしているのを聞き流し、私はリモコンを取りテレビをつけた。

「行儀悪いわよ」

 食パンを持ち、空いた手でリモコンをつけたからだろうか。今更何を言っているのか。生返事をして、ニュースを見つつ目玉焼きとベーコンも食べる。

「ごめんなさいね、鶴丸くん。こんな所見せて」
「娘さんらしくていいと思いますよ」
「この子ったらいつもだらしなくて……鶴丸くん、こんな娘でもいいの?」
「そういう所もいいと思いますよ」
「あらぁ」

 ……なんだか背筋がぞわぞわする。どうしてだろうか、とふと目の前を見るとそこには鶴丸さんがいた。私と目が合うと、彼は唇を緩めて蕩けそうな甘い笑みを浮かべる。

「……何で、いるの」

 寝起きだということもあり、声が掠れた。悪夢か、または酷い二日酔いの末の幻覚か。じっと見るが鶴丸さんが消えることはなくむしろ嬉しそうな顔をするだけである。前から思っていたけれど、まつ毛が長い。それは今、関係ないことだけれど。

「覚えてないの?」

 信じられない、と隣の母が言った。
 なんだ、私が何をしたというのか。とてつもなく嫌な予感しかしなくて、これからどうこの場を乗り切ろうか冷や汗が出る。
 残念ながら私は二次会からの記憶がない。どうやって帰ったかも分からない。けれど今この状態を見るに……。

「あなた二次会でお酒飲みすぎて寝ちゃったのよ。それを鶴丸くんがおぶってここまで運んできてくれたの。全くこの子は……本当にありがとうねぇ、鶴丸くん。その上、あなたたち二人が結婚するほどの仲だったなんて知らなかったわ。どうして言ってくれなかったの」

 じろり、と母が私を見る。狩人のような目で、獲物を捕まえた鷹のようだ……怖い。それよりも、私は母の言った最後の言葉が分かない。

「すまないな、きみの両親への報告がこんな形で」
「え? う、うん?」

 はてなはてなえくすくらめーしょん。本当に何の話をしているのか分からない。聞きたくはないが、聞かなくては大変なことになるだろう。
 重たい口をゆっくりと動かす。

「何のこと?」
「何って、あなた鶴丸くんと結婚するんでしょう?」
「いやいやそんなこと私……」
「昨晩、俺からプロポーズして答えてくれたんです」
「あなた、本当に素直じゃないんだから」
「違うって、それは」

 確かあの時私の記憶では、返事は後でって話になった筈だ。それがどうして了承したことになっているのか。

「安心してくれ、きみは俺が責任をもって幸せにする」
「……なっ」

 ――なんて、恥ずかしいことを言うんだ。
 それも母親の前。
 不覚にも私は耳まで赤くなってしまった。これでは、鶴丸さんとの婚約を心の底では受け入れているようにしか見えないではないか。反撃したくても隣に母がいる前ではまともな話もできないだろう。私は目の前の男をじろりと睨んで、怒りで我を失うのを抑える。

「つ、るまるさん……後で話があります」
「あぁ分かった。それより朝食をとらないとな」

 美味しい朝食が冷めちまう、と鶴丸は視線を目の前の朝食に移すので、私も緊張で震える手で食事を再開した。