共犯者
二階建てのボロアパートの一室は、いつもお酒とタバコの臭いが充満している。擦り減ったり焦げたりしている畳の上では、無精髭を生やした男がいびきをかいて眠っていた。
私にとってこの男は父であり、汚い肉の塊だ。私を母と比べてはいつも行き場のない怒りを私に叩きつける。肉体的にも精神的にもそれは行われ、私はもうずっと汚い部屋に縛り付けられていた。泣けども泣けども許されない。私の身体はたった数年でこの年季の入ったアパートみたいになってしまった。
二階の窓からは、真っ赤なパトカーの赤色灯と同じ色が差し込んでいる。綺麗だとは思えなかった。私に対する警告の色だからだろう。
誰かに助けて欲しいと思った。けれど、その誰かって誰だろう。私にそんな人はいない。
私は震える手で、台所から包丁を取り出した。手から吹き出る汗で滑って自分を刺してしまいそうなほど、緊張している。
「……っ」
一回で終わらなかったらどうしよう。手にしてから不安が脳裏に浮かんだ。
この刃物は、切れ味がよかっただろうか。こんな大きな肉、本当にこんな包丁で斬れるだろうか。たくさんたくさん考えたのに、その時間は一分と満たない。
そうして私は最後の瞬間、心を無にして振り下ろした。
空気を斬る音と、男の小さな呻き声。うえ、と口の中にある舌が出るようなそんな声だ。
後悔よりも恐怖が勝り、必死になって何度も腕を振り下ろした。
お願いだから、目を覚まさないで欲しい。服が血で汚れても構わない。
それは刃物と言うよりは、鈍器のようで、手の肉が痺れてしまいそうだった。
「はぁ……はぁ……っ」
最後に包丁の柄まで入るほど強く刺して、ようやく手を離す。
終わった。
父から流れる血の量と、動かない身体を見て、これで何もかもが終わったのだと実感する。
後はこの肉を始末するだけだった。広がっていく血だまりを眺めながら、私は考える。最後まで逃げ切れるとは思っていない。しかし、数日でいい。この男から解放される自由を味わいたかった。
「きみが、したのか」
顔を上げると、夕焼けの色にも染まらない白い男が立っていた。鶴丸国永。このアパートの管理人だろうか? 何年か前、家にいた記憶がある。
何も言えずにいる私に、彼は手を差し出した。
「話はシャワーを浴びてからにしよう。立てるかい?」
反射的に手を差しだそうとするも、自分の手が血で汚れていることに気づいて躊躇する。それなのに鶴丸さんは、自分からその手を取った。
「これは俺が片付けるから、きみは気にするな」
彼は何でもないことのように、淡々と話す。目の前の異常を、異常だと考えていないのだろうか。いっそ逃げてしまおうか。しかし、逃げるにしたって今の格好ではどこにもいけない。
私は鶴丸さんの言葉に従って、シャワーを浴びることにした。錆臭い血の匂いも、爪の中に入った泥のような血も全部排水溝の中に流し込む。一緒に涙まで流れてしまうのは、緊張の糸が切れたからだろう。罪悪感はそれほどわかなかった。ただ、してはいけないことをしたという私の中の常識が、ほんの少しだけ私を責める。
身体を拭いて、簡素な服に着替えて殺人現場まで戻るとそこは跡形もなく、綺麗になっていた。
「早かったな」
鶴丸さんは口元だけ笑みを浮かべる。
「あの、死体は……」
「それなら、ゴミ袋に詰めておいた。畳は裏返しにしただけなんだが、臭い以外はだいぶマシになっただろう」
「どうしてこんなことを」
「時間が欲しいからだ」
「時間?」
「三ヶ月、俺に時間をくれないか」
彼は私との距離を徐々に詰める。
「何をするつもりですか」
「俺の言う通りにすれば、きみを助ける」
「いや……やめて……」
後ろへ下がると、そこは壁だった。私はもう下がることができないのに、鶴丸さんは私との距離を詰め続ける。得体の知れない恐怖が渦を巻いた。
蜂蜜色の瞳と視線が絡み合う。張り詰めた空気の中、唇も、胸も、腰も重なった。
この人も、狂っている。それも、私以上に。人を殺した女を求めるなんて、酔狂以外の何者でもない。
ちゅう、と唇を吸い、その後に吐き出される甘い息に逆らうように、私の口内を犯していく。胸も、触られた。包むように全体を撫でてから、親指で乳房の部分を刺激する。執拗に、執拗に、何度も繰り返し私に触れた。冷えた指先が、彼の指で温められていくを感じる。身体だけが熱く、内側は寂しそうに冷え切っていた。股から流れる血は、私への罰だろうか。
――鶴丸さんの提案は、三ヶ月の間、生理の日以外は毎日彼の精子を受け入れることだった。
自由になりたかっただけの私は、これといった目的がなく、彼の要求を受け入れてみることにする。毎日毎日鶴丸さんに言われるまま、股を開いて招き入れた。知性のない動物でも、もっとマシな交尾をするだろうと言われるくらい、無言でお互いを貪った。
溶けて一つになりそうなほどに、熱い身体。はぁ、と苦しそうに何度も鶴丸さんは息を吐く。そんなに辛いなら止めればいいのに、私の中で自身の肉棒を擦り続ける。後ろから抱かれることが多かったから、彼の本当の顔はあまり見たことがないけれど。こちらまで苦しくなるほどに、鶴丸さんの心は泣いていた。それなのに、身体だけが残酷なくらいに気持ちよくなっている。だから止められない。無理矢理抱かれている筈の私でさえ、最後は自分から求めている。もっと、もっと奥なら分かり合えるのだろうか。
鶴丸さんと同棲し、初めての生理が来た。彼と身体を繋げている最中のことである。抜いた後に出てくる愛液と精液に血が混じっていた。動揺した様子はない。私の股から流れる血を見て「生理か」と零すだけ。
無言で生理用品とショーツと、暖かい服を私の前に差し出すと、鶴丸さんは「お風呂に行ってこい」と命令した。生理が来たと実感すると、お腹は途端に重たくなる。ずっとセックス漬けだったせいか、普段以上に痛みは酷い。
生理の日はしないと言っていたが、私はあまり信じていなかった。だって、セックスしていない間、私は鶴丸さんの家のどこに身をおけばいいのか分からない。普段は鶴丸さんのベッドの上だけれど、セックスできない今の私はどうすればいいのだろう。話だって、そんなにしていない。
恐る恐るお風呂から上がった私を待っていたのは、まだ温かいご飯とお味噌汁だった。その隣には『出てくるから、食べていてくれ』と書かれた紙切れ。ほっとしたような、残念なような、期待を裏切られたような……。
「いただきます」
両手を揃えて、鶴丸さんが作ったご飯を口にする。セックスというのは、結構体力を使う。性交はスポーツだと聞いたことがあるが、それは本当だった。一度動き始めたら、止められなくて息切れはするし、身体が熱くなるから汗もかく。水分補給は唾液では補えないから、鶴丸さんに何度かお水をもらっていた。おまけに私はあまり外を出ないので、普通の人よりも体力がなくて、よく意識が飛んでしまう。起きたら食事があって、食べてお皿を洗おうとしたら「そんなことより、今はしないといけないことがあるだろう?」と下着をずらされてまだ前回の性交のせいで濡れている膣に無理矢理肉棒が入っていくことが何度あっただろう。理由もなく、涙が溢れる。酷いことをされているのに、鶴丸さんに対して怒りがわかない。何かが足りないと思った。大切なピースがはまっていない。
彼の目的は一体何だろう。
私との性交だけが目的なのだろうか。だとすれば、今、出かけている鶴丸さんは他の誰かとシているのだろうか。
考えると、ずん、と胸が重くなる。
私は鶴丸さんと身体を繋げることに抵抗がなかった。好きだという訳ではないけれど、嫌いにはなれない。
重たい身体を引きずって、食べ終わった食器を片付ける。その後はもう、外に出るなんて気持ちもなく、そのままソファに寝っ転がった。本格的に生理痛がやってくる。ちりちりと痛む頭痛から逃れるには、薬を飲むか、睡眠を取るかだ。頭痛薬はどこにあるか分からないので、私は寝るしかない。さっきまで鶴丸さんとセックスしていたから寝ようと思えばいつでも眠れる。
鶴丸さんは、いつ、帰ってくるのだろう。
ぼんやりと彼の帰りを待ちながら、私は微睡んだ。
目を開くと、真っ暗だった。
いつの間にか、ベッドで寝ている。身体を起こし、自分が寝ていた場所を見るとそこでは鶴丸さんが眠っていた。わざわざ私をベッドで寝かせてくれたのだろう。別にいいのにと思った。これは鶴丸さんのベッドなのだから、鶴丸さんが寝てくれればいい。こういう優しさは、私の調子を狂わせる。
彼の傍に行って、寝顔を覗き込む。顔はよく整っており、前髪が短いせいで、童顔だった。少し太い眉が男らしくて、逆に可愛いとさえ思える。こんなに綺麗な顔をした男の人が、狂ったようにセックスを求めてくるのだから、外見と中身というのはなかなか結びつかないものである。
「……そんなに見ないでくれ」
不意に、瞼が上がった。蜂蜜色の瞳が私を見て、息が止まる。
「起きていたの?」
「ちょうど眠る途中だったんだ」
「なら、私がソファで寝るから、鶴丸さんはベッドに」
「一緒に寝るかい?」
試すように、鶴丸さんを見上げる。
「冗談だ」
ほう、と私は息を吐き出した。
「本当に、セックスしないんですね」
「きみがしたいというならするが、生理中は膣が傷ついたりするかもしれないし、ゴムなしだと細菌感染とか……色々あるだろう」
思ったよりまともな答えに、目が丸くなる。ノーマルでないプレイに興奮するタイプなのだと勝手に思っていた。
「それに……――い」
「え?」
「こっちの話だ。ほら、きみは早くベッドで寝てくれ」
しっし、と手を揺らす。セックスできない女に用はないらしい。
これ以上話すこともないので、私は素直にベッドに入った。普段の私なら床で寝る所だが、生理痛というのは結構辛いもので、とても耐えられる気がしない。
目を閉じて、お腹をさする。頭痛はおさまったが、お腹の鈍い痛みからはそう簡単に解放されない。痛い。すごく痛い。さっきまでぐっすり眠っていたこともあって、眠れそうにない。もそもそと寝返りを打って、鶴丸さんの方を見る。顔は見えないけれど、動きがないことからそろそろ寝ているのかもしれない。今は何時だろう。日が昇るまで、後何時間だろう。いつも時計を見ないから、感覚が狂っている。私には携帯もないし。
「眠れないのか」
鶴丸さんは動かないまま、私に話しかけた。
「……生理痛が重たいし、さっきまで寝ていたから」
三秒ほど、部屋は静まり返る。
「はぁ……」
それは大きな溜め息だった。面倒なのだろう。生理中の私でさえ、今の私は面倒だと思う。
「少し運動するか」
鶴丸さんはソファから起き上がると、私と同じベッドに入る。ぎゅう、と抱きしめたかと思うと、股の間に手を忍ばせて衣服越しに擦り始めた。
「ん、……」
夜用のナプキンを付けているから、もどかしい刺激だけが来る。生理中はしないという話ではなかったのだろうか。
「別に、するつもりはないからな。こうして気持ちよくなった方が、眠れるだろう」
生理で張った胸を、片方の手が撫でる。
「〜〜〜〜〜ッ」
甘い声が出てしまいそうになるのを、必死に抑えた。その方が気持ちよくなってしまうのは知っているが、それでも喘ぎ声を出すことに抵抗がある。
「もう少し、強い方がいいかい?」
クリがある部分を鶴丸さんが上から圧迫する。きゅう、と身体を駆け巡る電流。身体が熱くなって行くのを感じた。
「何度か気をやった方が、眠れるだろう。そら、もう一度」
「ん、ぁあっ」
出てしまった声に、羞恥がぶわりと沸いて出る。苦しいくらいに気持ちが良くて、鶴丸さんに抱きつきたくなる手を握りしめる。
今、鶴丸さんはどんな表情をしているのだろう。彼はいつも私とセックスしている時は顔を合わせないようにしていた。見られたくない理由があるのだろうか。それとも、私の顔を見たくないのだろうか。こんなに一方的に、私を気持ちよくしておいて。本当に、理解できない男の人だと思う。
そうだ。キスをしたのだって、最初の一度だけ。二度目はない。
こういうの、セフレって言うんだろうな……いや、私と鶴丸さんは友達なんていう優しい関係ではないけれど。友達と言うよりは共犯者。でも、立場は鶴丸さんの方が圧倒的に有利だ。目的を果たした私は、ただ鶴丸さんにいいようにされているだけ。
身体から力が抜けていく。そろそろ眠たくなってきた。ぐったりした私の身体を察した鶴丸さんは私から手を離す。握った手を開くと、近くに布団とは違う感触の布がある。その布を軽く握って、私は目を閉じた。
鶴丸さんが離れていく気配はなかった。
耳元で聞こえる寝息で目が覚めた。
すう、すう、という控えめな息。背中は温かく、お腹には自分以外の腕が回されていた。お尻には固い股間が当たっている。
鶴丸さんが、朝立ち……。
あれだけ毎日していても、生理現象は来るものらしい。
「……んっ……、んん……」
鶴丸さんは呻くような声を出しながら、抱きしめる腕に力を入れた。うなされているのだろうか。
「……ああ、起きていたのか」
起こすべきかと身じろぎをすると、鶴丸さんが起きてしまった。
「はい、おはようございます」
「おはよう……」
彼は挨拶を返すと「最悪だ……」と零した。
「次からはソファで寝る」
私の身体を解放すると、鶴丸さんはするりとベッドから抜け出した。私は広い背中をぼんやりと眺める。食パンを二枚取り出して、トースターの中に放り込む。ピッピッと慣れた手つきでボタンを押して、今度は冷蔵庫の中からベーコンと卵を取る。
「私も何か手伝います」
「いい」
「でも、いつも鶴丸さんが作ってます。私も何か……」
「俺が作る。きみは邪魔だから、そのまま横になっていてくれ」
はっきりと断ると、フライパンに油を引いてベーコンと卵を入れる。少ししてからじゅう、と美味しそうな音がした。その間に素早くサラダを作る。
「……」
こうしてまじまじと鶴丸さんが料理を作る所を見るのは初めてだ。彼が私を邪魔だと言ったのも頷ける。今まで鶴丸さんが作った料理はどれも美味しかった。だから彼の作る料理に不満はない。でも、私だって料理くらいできるのに……。
「できたぜ」
「ありがとう……」
「量が多かったら言ってくれ」
「ううん、ちょうどいい量だよ」
椅子に座って、鶴丸さんが作った朝ご飯をゆっくり食べる。私が既に起きていたからか、普段よりは凝っていない。それでも朝食としては充分だ。
鶴丸さんが食後のコーヒーを飲み終えた頃に、ようやく私は完食する。食べ終わった後の食器を洗おうとすれば、取り上げられた。
「いいから、きみは寝ていてくれ」
「今は生理痛もだいぶ落ち着いているの。だから」
「必要ない。生理が終わったら、またセックスする。きみはそれまで休め。それと、あんまり俺に話しかけないでくれ」
彼は苛立っていた。父に怒鳴られたことが今になって蘇り、私は何も言えなくなる。
居心地悪くなった私は、逃げるようにベッドへ戻った。
私を鬱陶しいと思うなら、どうして私を匿ったのだろう。どうして身体を求めたのだろう。どうして美味しいご飯まで用意してくれるのだろう。聞きたいのに、聞いたって答えてくれないだろうと一人で諦める。鬱々とした気持ちになるのは、生理だからだろうか。
本当に、掴めない人。
その後、私は鶴丸さんに言われた通り話しかけないようにした。
だから私達の間で交わされるのは事務的な会話だけ。彼はご飯の時だけ私に話しかけ、私は「分かりました」と「ありがとうございます」だけ口にした。
鶴丸さんは私に与えるだけだ。私からのお返しなんて期待なんてしておらず、いらないと吐き捨てる。私は心底、鶴丸さんのことを好きになっていなくてよかったと思った。こんな綺麗な見た目をしているのだから、恋に落ちる女性はたくさんいるだろう。
……けれど、私はあんまり。
いくら身体を繋げたって、この人に恋なんてしない。
[newpage]
一週間続いた生理が終わった。
「鶴丸さん、生理が終わりました」
セックスをするのが嫌なら、嘘を吐けばいい。この関係に嫌気が差したなら、逃げ出せばいい。しかし、私は正直に伝えた。自分でも驚いた。ちょっとコンビニから行って帰って「ただいま」を言う時の様な気軽さで、何も考えずにその言葉がぽんと出てしまったのだ。
鶴丸さんは無言で私を押し倒す。私は無抵抗でそれを受け入れた。黄ばんだ天井を見ながら、自分の身体が食べられていくのを感じる。一週間ぶりのセックスは、長いだけではなく濃厚だった。好きでもないのに、身体は溶けてしまうかのように熱く、鶴丸さんの指が触れるだけで悶えるような快楽が波のように押し寄せる。気持ちいい。気持ちいいから、拒まないし、ここを出ようと思えない。
この腕の中は安全だった。私はこの腕の外で、生きていくのは困難だ。現実的に考えて、難しい。私は働いたことがなく、またお金もない。近所付き合いも最近はしていなかったし、上手に嘘を吐ける気もしない。
結果、自由を満喫した私は一人で生きていく能力がないので警察に自首するしかなくなるのだ。
――それとも、自殺を選ぶか。しかしその勇気はないので、私はこうして鶴丸さんに与えられる生活を選んだ。それも、三ヶ月という期間限定の話だけれど。これからどうなるのかとか、そういうのは考えない。なるようにしかならないだろう。
ぐちゅ、と肉の棒で、子宮口が強く押される。さすがに何度もしているので、私が弱い場所をしっかりと覚えている。痛みはなかった。執拗に愛撫された身体は、鶴丸さんを受け入れる用意がきちんとできていたからだ。性交の最中、一度も「痛い」なんて口にしたことがない。鶴丸さんが上手なのか、単に身体の相性が良かったのか。
一週間もしていなかったからか、かなりねっとりと攻められた。小さくなり始めた穴が鶴丸さんの股間の太さと同じ大きさになっていく。いつも以上に締め付けたそれは、私の子宮に大量の精子をぶちまけた。
さすがにこれは、子どもができてしまう。そうなると、彼はどうするつもりなのだろうか。
聞けないまま、二ヶ月目に入る。
とうとう生理が来なくなった。ただの生理不順の可能性も充分にありえるけれど、これは話さなくてはならないだろう。もしものことがあっては困る。
「生理、来ないみたいです」
「そうか」
とても素っ気なかった。鶴丸さんの淡々とした調子を少しでも崩せたらと思ったのに、返ってきた答えは相槌のみ。がっかりしている自分がいることに驚いた。
……私は、一体何を期待していたのだろう。
ゴムなしで毎日狂ったようにセックスしているのだから、できない筈がないことくらい鶴丸さんも分かっている。今更、驚くようなことなんてない。
私はまた、鶴丸さんに足を広げさせられる。私の知らせは彼にとって、些細なことなのだろう。私は鶴丸さんが何を考えているのか、全く分からなくなった。彼を少しでも理解したいのに、拒まれてしまう。少しだけ泣きたくなったのに、押し寄せる快楽に呑まれて出たのは嬌声と下半身から流れる蜜だけだった。
約束の三ヶ月が近づいた頃、少しだけ変化があった。
「きみは買い物をしたり、料理したりできるのか」
性交が終わり、疲れ切った私はまどろんでいる。最初、鶴丸さんに話しかけられたことに頭が追いつかなかった。
「……できますよ」
「それならいい」
後ろにいる鶴丸さんを振り返ろうと身じろぐ。
「それだけだ。疲れたからもう寝てくれ」
私の身体は鶴丸さんに押されて、ベッドの壁際に寄せられる。空いた背中に冷えた空が入って寒かった。彼の残酷なくらいに分かりやすい拒絶。もう、涙も出ない。
約束の日まで、後二日だった。
この淫らな関係の終わりが近づいている。それなのに、鶴丸さんは何も言ってこない。これから私がどうなるのか、何の説明もない。聞きたいが、聞いたとしても彼は答えてくれないだろう。もしかすると、このままずるずると今の状態が続くのではないだろうか。次の日も、そのまた次の日も、抱かれるような気がした。
三ヶ月目の最終日は、静かな朝を迎えた。
「鶴丸さん……?」
ベッドから降りて、恐る恐る声を出す。
物音一つ、返って来なかった。
玄関を見ると、鶴丸さんがいつも履く靴がない。どこかに出かけているらしい。珍しいと思った。
冷蔵庫には食べ物がたくさん詰まっている。スーパーへ買い物に行く必要はなさそうだった。
お昼になっても鶴丸さんは帰って来ない。お腹が空いた私は、いつ彼が帰ってきてもいいように食パンを一枚食べただけ。しかし、三時を過ぎても玄関が開けられることはなかった。
虚しくも、お腹の音が鳴る。
なので私は「これは仕方のないこと」だと言い訳をして冷蔵庫に入った食材を取り出した。料理などの家事はするなと言われているが、今回は鶴丸さんが早く帰って来ないのが悪い。人の犯罪に手を貸す人間だけれど、彼もそこまで鬼ではないだろう。今日の夕飯は、私が作ろう。
文句の付けようがないくらい、美味しいご飯にしよう。
鶴丸さんが好きな食べ物は何だろう。今度、聞いてみたい。意外と子どもが喜びそうなハンバーグとかオムレツの方が好きだろうか。そんなことを考えながら、今冷蔵にある食材で作れるお味噌汁と肉じゃがを作る。
帰ってきたら、どんな顔をするだろう。文句を言いたそうにしながらも、鶴丸さんが食べる姿を想像して、私は久しぶりに心の底から笑顔になった。これでは夫婦みたいだ。
もし子どもができたらプロポーズしてくれればいいのに、なんて夢のようなことを考える。
鶴丸さんのことを考えながら料理している私は、気づかない間に彼のことを好きになっていた。
言葉では突き放しているのに、何度も行われるセックスは胸が苦しくなるほど優しい。何かをこらえるように唇を引き結んで、顔を見ようとする私から逃げるように強い快楽で突き放す。私は彼の本当の気持ちが知りたい。その為なら、身体くらいいくらでも捧げられる。
けれど、鶴丸さんは夜になっても帰ってこない。
鶴丸さんが帰ってくるのが待ち遠しかった。
温かかった肉じゃがもお味噌汁も、鍋の中で冷たくなり始めている。
あまりにも静かな部屋が寂しくて、初めてテレビを付けた。
テレビの画面に出てきたのは、私が早く会いたいと思った彼の顔。警察の人に連れて行かれる鶴丸さんがいた。
『鶴丸国永容疑者は三ヶ月前、五十代男性を殺害。彼は容疑を容認しており、男の娘を自分の物にしたかったと供述――』
鶴丸さんは帰ってこなかった。