やっときみに好きだと言えた(3)

 審神者適性検査ニテ、異常ナシ。

 最終確認。自白剤投与。敵デナイ事ヲ確認。データ送信。

 送信完了。映像ヲ、流シマス。ヘッドフォン装着、推奨。

『アナタハ歴史修正主義者デスカ』
『いいえ、違います』
『アナタハ病気等、アリマスカ』
『病気ではないと思うんですが、時々、頭の中がふらふらして変なものを見るんです。そうしたら、何日かした後、それと全く同じことが起きるんです。でもそのせいで、怖くて眠れなくて……』
『自白剤テスト終了』

 映像終了。解答待機。彼女ヲ審神者ニ就任サセマスカ。

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 了解。審神者ニ就任。未来視ハ、我々ノ計画ニオイテ、大キナ不安要素。事故トシテ審神者、処理。審神者ノデータ登録ヲ完了シマシタ。次ノ審神者適性検査ニ移行シマス。


     ■■■


 朝になると、目の周りは赤くなっていた。顔を洗って、最後の化粧をして、一番気に入っていた着物を取り出して袖を通す。

 鏡を見ると童顔の頼りない女の顔がある。もうこの顔とも最後だ。声には出さずに挨拶をして、本丸に向かう。心はどこか痺れて、現実感がない。平静を装うために、普段通りに朝餉を食べたが味がしなかった。咀嚼の感触だけが生々しく、がりがり、ぼりぼり、ぐしゃり、と鮮明に聞こえる。そしてご飯の一粒一粒が歯に付着する不快感。唾液の音。最後の食事になるかもしれないのに、何もかも苛立ってしまう。

「主! 今日は誰が出陣するんだ!」

 最近、出陣していなかった獅子王が待ちきれないとばかりに言った。それと同時に、周りの刀剣男士達も期待の眼差しを私に向ける。少しも嫌な顔をしていなかった。どこまでも透き通った瞳が私を見ている。戦場に行って斬られたら痛いのに、もしかすると破壊されてしまうかもしれないのに。

「……うん、じゃあご飯食べたらすぐに編成の発表するね」

 彼らは、私がいなくなったらどんな顔をするのだろうか。それだけは、知りたくないと思った。だから今日の編成は刀剣男士全員――

「――戦場に行ってもらいます」

 何でもないことの様に私は言う。もう日常なんて戻って来ない事を悟られないように、平然と振る舞うしかない。

「主、四部隊全員出陣ってどういうこと! 本丸に刀剣男士誰もいなくなっちゃうじゃん!」

 蒼白な顔をした加州が泣きそうな声で言った。

「えっと」

 まさかいつも私の言うことを聞いてくれた加州が、反対するなんて思わなかった。

「俺も反対だ。戦には出たいけどさ、本丸に誰もいないのは駄目だろ」

 さっきまで編成を聞くのを楽しみにしていた獅子王でさえ、反対を口にする。すると、皆同じような表情で、不安、焦り、心配。嫌な予感がした。ずっと逃げてきたものがそこにあったから。

 彼らの心を理解してしまったら、私はたぶん、辛くなる。

「ごめんなさい。でも今日はできる限り戦場に送って欲しいと政府に命令されているの。総力戦で、大がかりなしかけもしているみたいだから」
「でも本丸で何かあったらどうするの!」
「大丈夫。今まで何もなかったでしょう?」
「だけど!」
「まあまあ、主がこう言っているんだ。できるだけ早く戦を終わらせて帰って来ようじゃないか」

 加州を止めたのは意外にも鶴丸だった。

「……杞憂だって分かってはいるけどさ。何かあったら嫌なんだよ、俺。こういうの、今日だけにしてよね」
「うん。ごめんね」
「そんな悲しい顔されるともう言えないじゃん。でもさ、これだけは覚えてて、主。俺が戦に出るのは歴史を守りたいとか、戦いたいとかそういうのじゃなくて、もっと単純なんだよ。主の未来を守りたいから俺は戦うんだ」
「……」
「だーかーら! 俺が戦から帰ったら、これからは『おかえり』って笑って」
「うん……そうする」

 加州は小指を出して「約束」するよう求めてきた。恐る恐る指を絡める。指切りげんまん嘘吐いたら針千本。

 この指を離したくないと思った。私は、酷い勘違いをしていたのだ。もっと早く、彼らと向き合っていれば、違う結末があったのかもしれないのに。

 彼らには、人形でも機械でもない、人間らしい心があった。

 私を、私以上に大切に思ってくれていた。

 けれど皮肉なことに、私は今日、死ぬのだ。皆の気持ちを台無しにして、死ぬのだ。

 しかし、これでいいと思う。彼らには絶対、私が死ぬ瞬間なんて見て欲しくない。本当に地獄で針千本を呑む羽目に遭うかもしれないけれど、それでも構わないと思った。




 全員が戦に出て、本丸には私一人だけとなった。これでもう、いつ本丸が襲撃されようと構わない。

「駄目だ、緊張する……」

 いっそ眠っている間に襲撃を受けて、知らぬ間に死ねたら痛みも少なくて済みそうなのだけれど、これから死ぬという時に呑気に熟睡が出来るほど太い神経はしていなかった。

「何だ何だ、畳の上をごろごろと随分楽しそうじゃないか」
「つ、鶴丸!」

 広間ではしたなく大の字になって寝そべっているのを止めて、立ち上がる。つむじまで駆け上がる羞恥を誤魔化すように声を張り上げた。

「どうしてここにいるの! 皆はもう過去の歴史に向かったんでしょう!」
「別に一人くらいいいんじゃないのか?」
「今からでもいいから、皆の所に戻って」
「いやぁ、さすがに合流するまで一人はきついなぁ。敵に囲まれたら終わりだな」

 ははは、なんて彼は呑気に笑う。

 対照的に、状況を理解し始めた私は上っていた血の気が下がっていった。よりにもよって鶴丸である。一番死ぬところを見られたくない相手が、本丸にいる状況は非常にまずい。

「さて、どうしてきみはそこまで一人になろうとするんだい」

 さっきまでの優しい笑みは消え、本当の敵を見定める獣のような瞳が私を射る。

「あ……」

 ひゅっと喉が詰まった。誤魔化せない。鶴丸は見通していたからこそ、今、ここにいるのだ。

「お願い、鶴丸。出陣して……」
「納得できる理由をきみの口から聞いてからだ」

 一歩、鶴丸が前へ進む。

「それは政府の命令で」
「昨晩、俺がきみの傍を離れた後、何かあったんじゃないのか」

 今度は二歩、進んだ。手を伸ばせば触れることのできる距離になる。

 昨晩、あるにはあった。けれどそれは今この状況とは何も関係のないことである。とても個人的な感情に過ぎず、話すようなことではない。

「何もないよ」
「なら、どうしてきみは……いや、いい。何もないならいいんだ」

 鶴丸は眉間に皺を寄せて、何かを思案する。

 いつ本丸が襲撃されるか分からない今、私は早く鶴丸を別の歴史に行かせたかった。だが、これ以上強く言えばまた尋問されるだろう。正直、今の私には上手い嘘が吐けるほどの余裕はない。

「鶴丸、今晩は皆に美味しいご飯を食べさせてあげたいからおつかいに行ってもらってもいいかな」
「ああ、きみの荷物持ちならな」
「……さすがに本丸に誰もいないのはどうかと思うの」
「でもきみ、俺がいなかったら一人で行くつもりだったんだろう? 変わらないじゃないか」

 鶴丸の返しに頭を抱えたくなる。

「そうね、じゃあ二人で行きましょうか」

 こうなったら万屋に行くと見せかけて、鶴丸だけを別の歴史に行かせるしかない。

 出かける用意をして、鶴丸に財布は持たせる。彼の後ろを歩こうと思ったのに、鶴丸は私がどんな速度で歩こうと隣を歩いた。これでは彼の背を押すことも叶わない。

 本丸から五分ほど歩いた場所には鳥居が何本もある。どれも同じ形をしているが、鳥居にかけられた札だけが違う。例えば『現二千二百五』これは私が住む現代へ続く鳥居、『政二千二百五』なら審神者の業務報告等をする受付へ続く鳥居、『桶狭間千五百六十』なら桶狭間の戦いへ続く鳥居。鳥居には縄で封が施されていた。封を解くことができるのは政府から許されている審神者のみだが、過去に行けるのは刀剣男士だけである。

 万屋へ続く鳥居の封印を解くため、鳥居の真ん中に指で解を描く。指に触れられた空間は応える様に歪んだ。

 しかし、それだけで万屋へ行く道は現れない。もう一度、解を描く。

「……嘘でしょう」
「どうした」
「鶴丸、鳥居に何かした?」
「何も」

 心臓がどっと嫌な音を立てる。これは予知でも何でもない、ただの予感でしかないが、既にあれが始まっているのだとすれば――。

「なあ、きみ。ここにこんな鳥居、あったか?」
「鳥居?」

 鶴丸の言った鳥居を見る。鳥居には札も何もない。それに、封も何もされていなかった。

 目を凝らすと、鳥居の空間が波紋の様に歪む。そこから、白いものが顔を出す。

 見えたのは骨。骸骨の頭だった。無感情な骨が私を見る。目であろう場所には鈍い光。それが私を、認識した。

「危ない!」

 カン、と刃物と刃物がぶつかる音。目の前には鶴丸の背があった。二歩、三歩と後ろへ下がる。

 始まってしまった。

「きみは本丸へ逃げるんだ!」
「鶴丸は」
「後で追いかける!」

 鳥居からはまだ敵の短刀が出てきている。数は六、七、八とどんどん増えていく。列になってどんどん敵が入って来ていた。いくら太刀とはいえ、この途切れることのない敵の侵入を鶴丸一人に任せてもいいのかと迷うが、私が残った所で足手まといであることは明確だ。

 走って逃げるしかないと分かった私は本丸まで全速力で走る。久しぶりの運動で、ふくらはぎの筋肉がジンと破れかけるような嫌な感覚があったが立ち止まることはできない。

 私が走る横を、光がいくつも並ぶ。雪のような光は一つに合わさると、鳥居の形になった。遠くを見ると、同じように今までなかった鳥居がいくつもある。まるで本丸を囲むようにそれらは並び、中から短刀が本丸の敷地内へと入っていく。一体、何体の敵が入って来ているのだろう。考えただけでも気が遠くなりそうだ。

 本丸の建物前までくる頃には足がもつれそうになっている。とにかく隠れなければならない。彼らはそこまで賢い個体ではないから、運がよければ何とかなるかもしれない。

 しかし、時既に遅く、短刀は本丸を囲んでいた。引き返そうと振り返るが、後ろからも敵が来ている。もうどこに逃げていいのか分からない。

 骨、骨、骨、刀、刀、刀。彼らは揃うと白い茨のようだった。そこに薔薇の花はなく、ただただ茨だけが広がっている。

 敵の短刀は感情のない両目を光らせて、私に迷うことなく近づいた。彼らこそ機械的に私を殺そうとしている。見苦しく命乞いをすることも許されない。

「ハァアッ――!」

 白い装束を赤く染めた鶴丸が私に近づいた敵を刀で払う。敵の短刀はまるで硝子細工みたいにパリンと砕け散っていった。

「くそっ、一体一体は対した事ない癖にやたらと沸いて出てくる」

 蜜色の瞳は龍の如く鋭い。射殺す様に短刀を睨み付け、私を庇うように立つ。

「鶴丸」
「大丈夫だ。これが終わったらきみ、俺達に豪華な料理を振る舞ってくれるんだろう。あいつらもすぐに戻ってくる。それまで耐えるんだ。幸い、この程度の練度の短刀なら俺一人でも持ち堪えることはできるさ。きみ、絶対に俺の傍を離れるなよ」
「……うん」

 鶴丸は刀を持ち直すと、短刀と対峙する。彼の太刀に迷いはなく、朱色の閃光が花火みたいに何度も咲いた。ほとんどの敵を確実に一撃で仕留めている。それも、私を庇いながらだ。何度も鶴丸は私の傍に敵がいるかどうか確認しながら、立ち位置を変える。

 その集中力は尋常なものではなく、声をかけることもできなかった。彼の勇姿を見て、一人で逃げて欲しいなど、言える筈もない。

「血で斬りづらいな」

 敵の血がべっとりと付着した太刀を鶴丸は忌々しそうに払う。額の汗を拭い、再び近づいてくる敵の短刀を破壊していく。既に破壊した数は五十を超えているだろう。それでも尚、敵は増えていく一方だった。しかし鶴丸は弱音も吐かずに、敵を破壊していく。

 ――もしかすると、このままいけば戦いに行った皆が戻って来て、何とかなるかもしれない。

 そんな希望が私の中に沸いて出る。

「……きみ、体力の方は回復したかい」

 さっきまで声をかけなかった鶴丸が、不意に話しかけて来た。

「鶴丸?」
「敵は全て俺が引きつける。きみは逃げてくれ」
「何言って……」

 鶴丸はある一点をじっと見つめている。私は彼の視線を辿り、全てを察した。

 後方には太刀、大太刀がこちらへ向かい始めていた。それもすごい数である。突然現れた何十とある鳥居から出続けているのだろう。これは、鶴丸一人でどうこうできる話ではない。

「走ってくれ。今しかない」
「鶴丸、は」
「……」
「ねえ」
「早くしてくれ! きみは足手纏いだ!」

 聞いたこともない怒声に、私は反射的に走っていた。本丸の奥にある林へ駆ける。頭の中はぐちゃぐちゃだし、私の足もぐちゃぐちゃでいつこけてもおかしくない。土を踏む感触、鉛の様に重たい身体、肺の中は酸素が足りなくて息が苦しい。その上、涙まで出てきて喉が熱かった。

 私はどうして逃げているのだろう。今日、私は死ぬことが決まっているのに。だって、さっきから何度も脳内に私が死ぬ瞬間が流れ込んでくる。その頻度は少しずつ多くなってきており、生々しい死の感触は最早現実味を帯びていた。走り続けても、それは大きくなるばかりで――私は足を止める。

「……駄目……そんなの、嫌……」

 頭の中に現れた新しい未来に私は元来た道を引き返す。

 私が鶴丸に出来ることが一つある。例え無駄だと分かっていても、棒のようになった足が止まらず、ジェットコースターの様に視界は変わっていく。逃げる時よりも、今の方が早かった。

 私は死に誘われている。こんなの、死んで当然だったのだ。笑いたくなる。これじゃあどんなに手を尽くしたって回避できない。鶴丸が私を守ろうとするから駄目なんだ。そして未来視という能力がある限り、私の末路は決まっていた。

「鶴丸」

 茂みから出た私は、鶴丸の背後を狙う短刀の間に入る。

 瞬間、腹部の痛みを感じる。何度も何度も未来視で体験した痛みは、やはり体験した痛みよりも痛く、不思議なくらいに解放感があった。

「う……ぁ……」

 下を見ると、短刀が私を貫いている。その身体を私は掴んだ。

「捕まえた……」
「何をしているんだ、きみは!」
「ごめ……ん、なさい。でも、一人で逃げ……る、なんてできな……い」

 もう、刀剣男士が破壊される瞬間なんて見たくなかった。特に、鶴丸は。

 立っていることができず、私は地面に倒れ込んだ。地面に触れる身体に刺されるような痛みが走る。鶴丸が短刀を破壊したから刃の欠片がそこらかしこにあるのだろう。全然、見えていなかった。その割に滑りがあるのは敵の血か、それとも私の血か。

「……鶴丸、逃げて」
「出来るわけないだろう!」

 敵の刃を受けながら、泣きそうな声音で叫ぶ鶴丸の声が聞こえた。泣いてくれているのだろうか。こんな私の為に、鶴丸が。

 不謹慎だが、嬉しいと思ってしまう。

「ありがと、う」

 話すと、腹に刺された痛みに悲鳴を上げそうになる。それでも、まだ、私は鶴丸に――

「す……」

 ひゅう、と空気が虚しく響く。

 もう声は出なかった。


         ■■■


 未来視ノ審神者の処理ヲ完了シマシタ。

 ▼6Kmz57Sw

 詳細ヲ開示。

 大規模作戦、歴史修正主義者ヲ別空間ニ移動サセル作戦ニテ、移動場所ヲ未来視ノ審神者本丸ニ誤作動スルヨウ手配。刀剣男士ニヨリ、敵、約一万体ヲ別空間ニ移動スル事ニ成功。

 ソノ後、未来視ノ審神者ノ刀剣男士ヲ処理。

 □□□□ 破壊
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   …
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 □□□□ 本丸マデ逃ゲルモ自害
 審神者 死亡
 鶴丸国永 審神者死亡ニヨリ消耗ガ激シク消滅

 報告ヲ完了シマス。

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 次ニ、刀剣男子ト結納ヲスル審神者本丸ノ処理ヲ――